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2004/02/26: "釣り"
ここのところ、連日のようにWindowsの更新プログラムが送られて来て、「新しい更新をインストールする準備ができました。」とかなんとか言うメッセージがチラチラするんもんだから、鬱陶しいとは思いながらもセキュリテイ関連のUpdateらしいので、インストールしようとするんですが、いまだ嘗て一度でインストールに成功したことがありません。
頭にきて、一晩中放置しておいたことも何度かあるんですが、翌朝になってもフリーズしていただけでした。
その都度、タスクマネージャーを立ち上げてインストールプログラムの強制終了。
WindowsのUpdateって、こんなに煩わしいものなんですかね。 それとも、私の環境が悪いのかな? そう言えば、メモリーがぎりぎりらしく、ブルースクリーンに落ちてしまう頻度が多くなってます。 ホームページの表示速度が極端に遅くなっているのも、ISDNの速度の問題ではなくて、どうやらメモリー不足が原因のような気もします。 これも何とかしなきゃ・・・。(私が住んでいるところにはADSLになればインターネット関連のトラブル(料金を含む)が全て解決すると思い込んでいるパソコン通が居て、世の中にはすごい「通」もいるものだと感心していす。)
そんなことはどうでもいいんですが、季節が行ったり来たりで、今朝5時の気温8.6℃、雨。 そして昼近くからは大雪。
明後日の雪まつりは大丈夫なのかな・・・などとちょっと心配しています。 というのも、お祭り事務局で食券を数えてホチキスで止めたり、郵便局までお金を下ろしに行ったりとかひどく煩雑で難しい仕事のお手伝いをさせていただいてるものですから。
と言う訳で釣りのどこが面白いのかってことなんですが・・・
井伏鱒二が好きでよく読むのですが、先日も彼の釣り話を読んでいて「結局のところ、釣りの面白さとか人を引き付ける魅力ってのはこんなところにあるんだろうなあ・・・。」などと改めて思ったことがあります。
もちろん、釣りが魚釣りである以上その唯一の目的は魚を釣ることにあるわけで、その他の諸々は全てが魚を釣るまでの手続きに過ぎないわけです。
じゃあ、魚釣りの面白さは川(あるいは湖、海)に入って釣り竿の先に付けた糸に魚をぶら下げることに集約するかと言えば、これが決してそうとばかりも言えないところに釣りの魅力があるような気もするわけです。
ま、何が面白いかなんてことは完全に個人の問題な訳ですから、ここで「釣りの魅力」を普遍化するつもりは毛頭無くて、自分で釣った魚を食うことに集約しちゃってる人だって多いだろうし、数やサイズを自慢することだけに生きがいを感じてる人も山ほど居そうだし、フィールドに出て魚を相手にするよりはタックルの収集の方が好きな人も居るし、釣りそのものよりも釣りに行って酒を飲むことに釣行の意味を見出している人も知ってるし、釣竿作りに夢中で釣りに行く暇が無くなってしまっている人も居るし、多分、これら全てが「釣りの楽しみ」と言ってもいい訳で、私のように釣りが嵩じて釣り場の傍に移住しながら全く釣りをせずに釣りの本を読み、釣具メーカーのカタログをめくり、毛鉤を巻き、仕掛けを作り、釣りのことばかりを思っているような人間もいるわけです。
私にとっての釣りの楽しみ、面白さ、魅力はいったいどこにあるのかなどと思い巡らしてみると、これが単純なようでいてかなり複雑で、頭の中はおでん鍋状態です。 ごった煮と言った方が適切かもしれません。 だからこそ40年もの間、一度も飽きもせず退屈もせずに遊んでいられるんでしょうね。
で、そのごった煮状態の中に箸を入れて、うまそうな具を少し探って見ると・・・
(1)遠征(必須)
(2)宿(できれば日本旅館)に泊まる
(3)遠征先で会う人々
(4)初めての風景
(5)心当たりのある風景
(6)生活の匂いがしない風景
(7)日の光、森、木々、風、雨、雪、川の流れ、鳥、魚、獣
(8)釣り竿、リール
(9)衣類、小物類
(10)ショッピング、店員との会話
(11)フライ巻き、マテリアル、バイス
(12)釣りの本、カタログ
(13)Sockeye、馬鹿話
(14)釣行前の準備を考えている時間(実際にはいつも出発前夜か当日の朝に、大慌てで準備)
(15)釣り現場での友人たちとの馬鹿話
(16)遠征先での飲食(カレーでもカツ丼でも)
もう少しありそうですが、主なところはこんなものでしょうか。
正直のところ、釣れれば嬉しいし、フライが当たって爆釣なんてことになればさらに嬉しいのですが、釣れなくても別に落ち込むでもなく、「釣り旅行をしている」ということそのものに意味がある訳です。 釣り場に行っても、釣りをせずにブラブラしているような日もあります。
要するに、釣りを言い訳に旅をして、釣り道具は単なる旅行用品、開高健も井伏鱒二も釣り旅行エッセイストってところでしょうかね。
ってことになると、家の前を流れている寒河江川や大井沢川での釣りにはほとんど興味が湧かないのも当然ということになります。 自宅の玄関でウエイダーを履き、庭先でロッドを繋ぎ、昼飯を自宅で食うような釣りは、どうも釣りじゃないような気がしてなりません。
魚につられて遠くまで出かけて行くからこそ釣りなんです。 少なくとも、私にとっての釣りとはそんなもののようです。 もちろん、家を出るまでは大物がかかった時のイメージで頭の中はいっぱいですし、川や湖に着けば「爆釣間違いなし。」と信じてはいるんですが。
ところで、井伏鱒二の釣り話で可笑しいのは釣れなかったか、あるいは釣りにならなかった時の話が圧倒的に多いこと。 それに、釣った魚をリリースしているとも思えないのにそれを食ったという話が全く出てこないのも不思議です。 「サクラマスはまずいそうだ・・・。」といったような話は出てくるんですが。
私の場合も、釣れない釣りや釣りにならない釣りが多すぎたので、その辛さを忘れようとしてその他諸々の方へと逃げ込んでしまったのかも知れません。
でも、やっぱり釣りの面白さや楽しさは旅の面白さでもあり、楽しさでもあると思いますね。