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2007/10/26: "山の神様・・・とは関係なく日立を家庭向けPCから撤退させた一言"
山道を歩いて見つけた山の神を祭った小さな石碑です。 高さ30cmほどの自然石で、100年以上も前のものでしょうか、風と雨と雪に洗われて文字が消えかけています。
大井沢には至る所に神様が居て、人間の日常を守っているようです。
で、それとは関係なく日立が家庭用パソコンの製造、販売事業から撤退するとのニュース。
すぐにあの人のあの一言が引き金になっていたに違いない、と確信しましたね。
某大手ソフト会社の某とてもエライ人が、まだあるワープロソフト会社の部長さんだったころ(課長さんだったかな?)、孫さんの会社の日立担当部長さんから電話がかかってきて、彼の会社の某有名超売れ筋ワープロソフトのマイグレーションを打診してきたんだそうです。
もう20年近く前の話なんですが、当時はNECのPC98シリーズなるパソコンが市場の70〜80%も押さえていて、それに対抗するためにIBM PCAT互換のDOSVマシンなるものが各メーカーから出始めたころで、厄介なことに各メーカー毎にDOSが微妙に違っていたんですね。 そんな訳で、ソフトメーカー各社はひとつのソフトでNEC用、富士通用、IBM用、東芝用・・・と言ったパッケージを作らなければならず、煩雑で面倒な作業をしなければなりませんでした。
他社よりもちょっと遅れてパソコンを売り出すことにした日立としては、超売れ筋ソフトが自社のPC上で稼動することは市場で認知されるための必須条件だった訳で、それで孫さんの会社を経由してまで移植話を進めたかったんでしょう。
ちょうど「Angling」を読みながら次の釣行の戦略を考えていたときの電話だったせいかどうか分かりませんが、電話に出た某氏は受話器に向かって「日立? パソコンなんてやらずに白物でも売ってりゃいいんだよ!」と怒鳴りつけたんだそうです。
卓見にして達見。 さすがですねえ。 すでに17〜8年も前に日立製パソコンの今日あることを見通していたんですから。
この会話に関して、本人は「言ったか言わないかと言えば、言いました。」と断言していました。 立派です。 亀田兄弟の父親とは違います。
これは後日談ですが、この電話の率直にして思いやりのある対応のせいか、日立のパソコン事業部門と某ワープロソフト会社はJSウィンドウなどというプログラムを一緒に開発したり、電話は付いているけどソフトがインストールできないパソコンを売り出したり・・・と他社も羨む蜜月な関係にまで進んじゃうんですねえ。
ところで、あの電話付きパソコンはどうなったんだろう? とても便利そうだったんだけどなあ。
と、まあ、そんな訳で、日立のパソコン担当者の間では某氏のあの一言がトラウマになっていて、今回の撤退決定に繋がったに違いありません。