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2010/02/12: "ポリシュソーセージは紅茶に浸したマドレーヌ"
アメリカ産のポリシュソーセージとスパムを見つけると買わずにはいられません。
どちらにも小さかった子供の頃の味と思い出が詰まっていて、口に入れた途端に昔の田舎の風景や家族たちとの生活が一度に意識の中に広がります。
東北の農村で、麦飯に味噌漬けで育った子どもにとっては、瓶詰めのソーセージやホーメルのスパムはそれはもう奇跡の美味でした。 つくづくアメリカ人に生まれなかった我が身の不幸を嘆いたものです。 アメリカ人だったら、ソーセージやスパムを毎日食べて、シアーズの通販カタログに出ているような豪華でオシャレでカッコいい生活ができるのに・・・と本気で思っていましたね。
食い物というか、その食い物の味や香りのようなもは遠い記憶と密接につながっているような気がします。
昔の記憶がよみがえるせいでもないのでしょうが、とにかくこのポリシュソーセージとスパムだけは今になっても本当に好きです。
この味が恋しいばかりに、以前、材木町の裏通りにあった「シカゴドッグ」へ足繁く通ったものです。 (最近、広尾のナショナル麻布の近くにもホットドッグ専門店ができていて、アメリカ人らしい家族連れなどで結構賑わっているけど、やはり昔の「シカゴドッグ」の方が美味しかったように思うのは気のせいかなあ。)
今になってみれば、ソーセージやスパムを夢のご馳走のように思っていたあの頃の方が、何もかもが珍しくて欲しいものばかりで、飛び上がるほど美味しいものが山ほど有って、なんだかとてもいい時代だったような気もします。
パイナップルの缶詰の味と言ったら、感動のあまり失神しそうでしたね。 (私の曾祖母は、死ぬ間際にお見舞いにいただいたパイナップルの缶詰を口にして、「こんなにうめえ沢庵漬は食ったことがねえ。」とそれはそれは喜んでいたそうです。)
ま、もはや失われてしまった時を求めてみても仕方の無いことなんだけど・・・。