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2010/08/01: "不揃いのトマトたちですが・・・。"
妻の畑でトマトが赤くなり始めました。
夫婦二人で食べ切れる量ではありません。
畑で完熟したものを、収穫してすぐにフードプロセッサーでジュースにし、裏漉しをして煮詰めます。
煮詰めるときにはベイリーフを2、3枚入れますが、それ以外の味付けは一切しません。 3分の1ほどまで煮詰めたものを冷まし、冷凍保存してスパゲティソースやケチャップなどに利用します。 来年の夏まで使い続けることができます。
我が家の大切な保存食です。
保存食と言えば、大井沢に越してきたばかりの頃には、嬉しくて面白くて、春の山菜や夏野菜、秋の茸などを大量に塩漬けして保存したり、大根を30〜40本も沢庵漬けにしたりと、山ほどの保存食や漬物を作りました。
しかし、この保存食を食べる頃になって気付いたのは、私たちにはすでに大量の漬物や保存食を食べる習慣がなくなっているということでした。 野菜の味噌漬けも、沢庵漬けも、白菜の漬物も、梅干も佃煮もきゃら蕗も大好きなんですが、毎日欠かさず食べるようなことも無いし、食べるにしても味噌漬けや沢庵なら一切れか二切れ、せいぜい三切れといった程度だし、佃煮だってティースプーン1杯分も有れば余るほどで、とてもとても大量消費には至りません。
2年目以降は、漬物や保存食の大量生産をすっかり放棄しています。
私が育った農村では、朝、昼、晩と大量の麦飯を大量の漬物類と一緒に食べていました。 冬から春にかけては沢庵漬けや白菜漬け、それらが切れれば味噌樽の底から引っ張り出して来た味噌漬け各種、夏には糠床に漬けこんだ胡瓜や茄子・・・。
あの頃は、それで十分美味しかったし、大人も子供も満足していた訳で、だからこそハレの日のご馳走が輝いていたんですね。