キュウリ、きゅうり、胡瓜・・・
形の揃わないキュウリでも、味に変わりは無いのに、なぜ市場には出回らないんだろう。
流通の都合だけで規格化され、その規格にはずれた野菜が廃棄されてしまうってのはエコじゃないし、資源の損失ですね。
車の排気ガス規制なんかよりも、こっちの問題の方が深刻かもしれない。
10/08/25 @ 08:25 PM JST [続く……]
キュウリ、きゅうり、胡瓜・・・
形の揃わないキュウリでも、味に変わりは無いのに、なぜ市場には出回らないんだろう。
流通の都合だけで規格化され、その規格にはずれた野菜が廃棄されてしまうってのはエコじゃないし、資源の損失ですね。
車の排気ガス規制なんかよりも、こっちの問題の方が深刻かもしれない。
10/08/25 @ 08:25 PM JST [続く……]
トマト、トマト、トマト・・・
妻の畑の夏野菜も盛りを過ぎました。
それでも、胡瓜も茄子もトマトも八百屋の店頭よりははるかに潤沢です。
この夏の我が家ブームは胡瓜のディルピクルスです。 取立ての若い胡瓜をピクルス液に漬け込んで冷蔵庫に入れて置きます。
二日も置けば食べ頃です。 食べ始めると止まらなくなります。
10/08/24 @ 08:35 PM JST [続く……]
やっと日差し
台風4号以来降り続いていた雨がやっと上がりました。
日差しは強いのですが、涼しい川風が吹き抜けています。
寒河江川は連日の雨で増水し、まだ濁りも取れません。
10/08/17 @ 12:44 PM JST [続く……]
月桂樹の葉
我が家では月桂樹の葉を日常的に使うので、大量にストックしておく必要があります。
市販のものはかなり高価なので、姉の家の庭先にある月桂樹の大木の葉を貰っています。
義兄によれば、今の葉はまだ充実していないので、秋になってから摘んだ方がいいとのことなのですが、残りがほとんど無くなってしまったので、背に腹は代えられません。 姉に頼んで持ってきてもらいました。
トマトソースを作るにも、夏野菜のピクルスにも、カレーやシチュウの煮込み料理にも、スープ類にも、月桂樹の葉は欠かせません。 ベーコンやスモークサーモンなどの燻製類にだって必須アイテムです。
月桂樹はかなり寒いところでも育つので、大井沢に来てすぐに植えてみたのですが、露地では枯れてしまってだめでした。
雪囲いをしっかりして置けば、雪の下でも青々としてみずみずしい葉を付けたまま冬を越します。
ところが、雪解けの季節になって雪囲いを外すと、すぐに枯れてしまいます。 春先の寒風で風邪を引いてしまうのか、あるいは雪囲いを外されて浴びる明るい陽光に戸惑ってしまうのか・・・良く分かりません。
雪囲いを外すタイミングをずらしてみても、やっぱり駄目で、ここで月桂樹を育てるのは諦めました。
10/08/16 @ 04:40 PM JST [続く……]
月山の雪も消え、夏の終わり
居間から見る月山の雪もほぼ消え、夏もそろそろ終わりです。
台風4号は少しの雨を降らせただけで通り過ぎ、まだ色づいていないアキアカネの群が目立つようになっています。
台風のおかげか、今日は暑さも一段落で涼しい風が吹き抜けます。
10/08/13 @ 11:38 AM JST [続く……]
異文化の食には拒否反応
連日の酷暑に食欲も失せて、何とはなしに旨そうな話の本ばかりを読んでいます。
Marvin Harrisの「GOOD TO EAT - Riddles of Food and Culture」という本に、コロンビア大学の文化人類学教室で、日本の缶詰のイナゴを学生たちに食わせて大問題になったなんて話が出ていました。 イナゴを食ったことが原因で病気になった学生まで居たそうです。
最近、「The Cove」という映画がずいぶんと話題になっていますが、異文化の食材ってのは時にはひどくグロテスクなものに見えたり、野蛮で残酷な行為に思えたりするもんなんでしょうね。
昔、アメリカの本社から来ていたコンピュータプログラムの開発エンジニアと、虎ノ門辺りの縄暖簾で酒を飲んでいると、そのエンジニアが「ホテルのテレビを見ていたら、若い日本人の女の子が、大きな皿に乗った魚の頭を食っていて、しかも目玉まで美味しそうに口に入れていたけど、日本ではあんなグロテスクなものを普通の女の子でも食うのか?」と言うんです。
多分、鯛のカブト煮でも食っていたんでしょうけど、彼のアメリカ人にとってはとてもショッキングな光景だったようです。
で、私たちが居た飲み屋には馬刺しも鯨刺しも有ったので、よほどそのガイジンに知らん顔して食わせてやろうかと思ったのですが、あまりにも刺激が強そうなので諦めたのを覚えています。
30年ほど昔に、ニュージーランド・ラムのプロモーションをしたことがあります。
当時の日本では、ラム肉なんてほとんど知られて居なくて、そのころ評判になっていたフランス料理の一流シェフたちに頼んで、婦人雑誌の広告に出てもらったり、料理教室の講師をしてもらったりしたのですが、ラム肉が子羊の肉だと言うことを知ると、ほとんどの女性たちの反応は「え〜っ! 可哀そう!」というものでしたね。
ところが、3、4年前に新宿で焼肉屋へ行ったら、どの店も若い女性の行列で、30分待ちだの1時間待ちだのと言われました。
事情が分からずに、一緒に居た友人たちに聞いたら、なんとラム肉ブームで、ジンギスカンが大流行だと言うではありませんか。
あの可哀そうな子羊の肉を、行列を作ってまで食おうとしていたんですね。
そんなことから思うと、あと20年もすればアメリカのアカデミー賞の審査員たちも、イルカの肉はヘルシーだから・・・などと言って、ハリウッドやニューヨークのイルカ肉専門レストランに大挙して押しかけているに違いありません。
10/08/11 @ 05:58 PM JST [続く……]
8月9日の朝
朝4時50分。
飼い犬に起こされ、目を開けるとカーテンを通して入る光りで部屋の中が淡いオレンジ色になっています。
今日は涼しい一日になりそうです。
10/08/09 @ 07:01 AM JST [続く……]
暑すぎます!
午前11時に32℃。
あまりの暑さに、なす術(すべ)も無く、夏死状態。
水のようなシャワーを浴びても、涼しくなるのは瞬時のこと。
早く雪が振らないかなあ・・・と、暑がりの飼い犬と一緒に待っています。
10/08/06 @ 08:09 PM JST [続く……]
セミ 2種
居間の窓枠で休息中のアブラゼミ。
セミの語源は・・・と大槻文彦の「言海」を見ると、「鳴ク声ヲ名トス」とあります。
小学館の「日本語源大辞典」でも「セミセミ・センセンという鳴き声から」とのこと。
どうやら昔のセミは「セミセミセミ・・・センセンセン・・・」と鳴いたらしい。
家の周りでは、数日前からツクツクホウシの声が聞こえ始めています。
朝5時から2羽のヤマセミがうるさく鳴き交わしていて、珍しく我が家の近くの電線に止まりました。
300mmレンズの手持ち、100分の1秒じゃ、やはり止まりませんね。
ところで、ヤマセミはセミでもないのに・・・と、「言海」を開けば、ヤマセミもカワセミも「やませび(又は、かはせび)」が正しくて、「せみ」は「せび」の転だと言います。 また、「古名そびヲせびト訛リ・・・」なんだそうです。
言海の発行は明治24年だから、少なくともこの頃まではカワセミもヤマセミも「カハセビ」とか「ヤマセビ」と呼ばれていたんでしょうね。 今になってみると、ちょっと言いにくい呼び方ではありますが。
「日本語源大辞典」も「ソビ」が転じたと記しています。 アカショウビンの「ショウビン」はこのソビが訛ったものとのこと。
10/08/04 @ 09:08 AM JST [続く……]
DunからSpinnerへ
居間の窓ガラスに張り付いていた全長2.5cmほどのカゲロウの抜け殻です。
2本の尻尾までがきれいに残っていて、あまりにも繊細ではかなげなので、すっかり見とれてしまいました。
亜成虫(dun)から成虫(spinner)への変身の跡でしょう。
これは、以前に窓ガラスに止まっていたやはり2.5cmほどのカゲロウの亜成虫です。
フックサイズで言えば#16か#18、もしかしたら#20かもしれない。
10/08/02 @ 09:58 AM JST [続く……]
不揃いのトマトたちですが・・・。
妻の畑でトマトが赤くなり始めました。
夫婦二人で食べ切れる量ではありません。
畑で完熟したものを、収穫してすぐにフードプロセッサーでジュースにし、裏漉しをして煮詰めます。
煮詰めるときにはベイリーフを2、3枚入れますが、それ以外の味付けは一切しません。 3分の1ほどまで煮詰めたものを冷まし、冷凍保存してスパゲティソースやケチャップなどに利用します。 来年の夏まで使い続けることができます。
我が家の大切な保存食です。
保存食と言えば、大井沢に越してきたばかりの頃には、嬉しくて面白くて、春の山菜や夏野菜、秋の茸などを大量に塩漬けして保存したり、大根を30〜40本も沢庵漬けにしたりと、山ほどの保存食や漬物を作りました。
しかし、この保存食を食べる頃になって気付いたのは、私たちにはすでに大量の漬物や保存食を食べる習慣がなくなっているということでした。 野菜の味噌漬けも、沢庵漬けも、白菜の漬物も、梅干も佃煮もきゃら蕗も大好きなんですが、毎日欠かさず食べるようなことも無いし、食べるにしても味噌漬けや沢庵なら一切れか二切れ、せいぜい三切れといった程度だし、佃煮だってティースプーン1杯分も有れば余るほどで、とてもとても大量消費には至りません。
2年目以降は、漬物や保存食の大量生産をすっかり放棄しています。
私が育った農村では、朝、昼、晩と大量の麦飯を大量の漬物類と一緒に食べていました。 冬から春にかけては沢庵漬けや白菜漬け、それらが切れれば味噌樽の底から引っ張り出して来た味噌漬け各種、夏には糠床に漬けこんだ胡瓜や茄子・・・。
あの頃は、それで十分美味しかったし、大人も子供も満足していた訳で、だからこそハレの日のご馳走が輝いていたんですね。
10/08/01 @ 02:58 PM JST [続く……]