吹雪、吹雪、氷の世界
この冬一番の荒れた天候になりました。
明け方の猛烈な突風で目が覚め、庭先の雪囲いが倒される絶望的な音をただ聞いているだけでした。
6時、まだ真っ暗な吹雪の中をロータリー除雪車が行きます。
今日の最高気温は−5℃。 猛烈な吹雪、地吹雪。 犬と散歩に出ても、その犬の姿さえも掻き消されて見えなくなります。
昼過ぎに天童駅に着く娘を迎えに国道122号線に出たら、除雪グレィダーで磨き上げられた路面には先行車の姿が映りこんでいて、まるでスピードスケートのリンクのようです。 新品のスタッドレスタイヤを履いているにも関わらず、時速40kmでブレーキを踏んでも車が止まりません。 信号で止まっている前の車に、私の車は勝手にスケーティングしながら近づいて行きます。
年末まではずっと雪と低温の予報です。
大井沢らしいと言えば、まさに大井沢らしい年末ではあるんですが・・・。
08/12/26 @ 05:57 PM JST [続く……]
反感をかおうが、恨まれようが、妬まれようが、憎まれようが、嫌われようが・・・。
まだ咳やクシャミをすると響きますがわき腹の痛みもかなり和らいでホッとしていたら、三浦さんからダンボールいっぱいのBacker Fujiwaraのパンが届きました。
これはお見舞いや今上天皇の誕生日を祝ってのことでもなくて、多分、クリスマスのプレゼントと言うことでもなく、フォルコン・ブロート、ロッゲン・ブロート、ヨーグルト・ブロート、クランベリーブレッド、レーズンサンド、マドレーヌ、シシリー海塩のガレット、フィナンシェ、もちもちバターロール、クロワッサン、セザム・ブロート、シナモンチョコクリーム、抹茶のマーブルブレッド、ベリーベリークリームチーズベーグル・・・。 全部で何種類あるんだろう?
でも、これだけあるとケーキ屋とパン屋を買い占めてしまったような何だかとても幸せで豊かな気持ちになります。
もし、私がまだ10歳の子供だったら、夢のような幸せで天にも昇るような気持ちで天に昇っちゃったに違いありません。
08/12/24 @ 05:24 PM JST [続く……]
誰かに恨まれているらしい・・・と思ったらグルメ漫画。
今朝は良く締まった残雪の上に明け方に降った軽い雪が4〜5cmほど積っていました。
どこでも歩けるものだから、気持ちよく雪の斜面を登り、犬と一緒にまだ真新しい動物たちの足跡を追い、高台に上がって大井沢を囲むようにして光っている遠くの山々を見物し、山頂辺りには強風が吹いているらしい小朝日を300mmの望遠レンズで覗き、のんびりと下り始めて途中まで来たら、思いっきり滑って転倒しました。
薄っすらと積った雪の下に、昨夜の冷え込みで硬く凍った氷が潜んでいました。
ゴム長のスパイク底もこれには全く効果無しです。
猛烈な勢いで落下する私の左わき腹と地面の硬い氷との間には、左手で抱え込んでいたNikon D1の大きくて頑丈なボディが有り、まるで突起した岩に肋骨を叩き付けるような状況になりました。
一瞬息が詰まりましたね。 雪の上に寝転がっている私を見て、飼い犬は大はしゃぎです。 飼い主も自分のまねをして雪の上を転げ回っていると思ったようです。 苦痛で動けない私に飛びついて手袋を奪い取って行きました。 腹を立てて蹴飛ばそうとしたら、その足にまでじゃれ付い来て、もう少しでゴム長も強奪されそうになりました。
やっと起き上がり、カメラの雪を払ってシャッターを切ったら正常に作動しました。
家に帰って、ことの顛末を妻に報告したら、「でも、カメラが無事で良かったじゃない。 肋骨にヒビが入ったくらい、すぐ治るわよ。」とのこと。
午後になっても左わき腹の痛みは少しもやわらがず、どうやら本当に肋骨にヒビが入ったようです。 妻が保証するように、すぐに治ればいんですが、北の海からの美味珍味ではしゃぎ過ぎ、誰かの恨みを買ってしまったのかも知れません。
などと、少し欝な気分になっていたら、三浦U猫氏から妻宛にAmazon経由で3冊のグルメ漫画。
体を動かしたくない状態なので、早速ソファに沈んでじっとしたままページをめくれば、これは正に都会・・・つまり地方都市ではなくて東京の食事風景そのものです。
「孤独のグルメ」はただひたすら普通のサラリーマンの外食風景。 会社で働いていた頃の日々の昼食を思い出します。
大学を卒業して最初に働いた会社は銀座にあったし、ロータスも神谷町にちかい虎ノ門だったし、笹塚だって結構安くて旨い中華料理、焼肉、寿司なんてのが食えたし、夜の接待料理よりも昼飯の方がずっと旨いものを食っていたような気がするなあ・・・。
特に銀座の昼飯は和、洋、中、エスニック、無国籍、どれをとっても美味、多彩、格安、超一流・・・と実に贅沢でしたね。
夜の銀座には全く興味が無いけど、昼飯だけは魅力があります。 それに午前中から開いているビアホールがあるってのも嬉しいですよね。 今だから白状しちゃうけど、ずいぶん会社をサボって交詢社地下のピルゼンや銀座ライオンなんてのに行きましたよ。
と言う訳で、またまた食い物話題でしみじみしちゃいました。
08/12/23 @ 04:08 PM JST [続く……]
ひたすら幸せ
標津の鮭丸ごと一本の燻製、サーモンジャーキー、富山のイカ墨作り・・・どれもこれも絶品揃い。
我が家の犬なんて、もうそばを離れられません。
年末年始には酒とご飯が進みそうで、とても心配です。 こうなりゃ、もうヤケですね。 素直に幸せを味わいます。
08/12/21 @ 08:20 PM JST [続く……]
反感をかうよ・・・。
妻の弟が、「お宅のブログは旨そうなものばかり載せて、人から反感をかうよ。」なんてことを言ってたらしいけど、反感を持たれようが嫌われようが旨いものは旨いんだから、旨いもの大好き人間としては嬉しさのあまり思わず書いちゃいますね。
山本さんが送ってくれた冷蔵宅急便は八角、ニシン、ホッケ、イカ、ホタテ、ホッキ貝とまさに玉手箱でした。
八角は冬限定の北海道の珍味、見事なニシンも巨大なホタテも感動モノ、ホッキはもしかしたら剥き身に軽く塩を振って炭火で焼いたら極め付きの味になりそうだし、生のホッケなんて東京でだってなかなかお目にかかれません。
昨夜、ニシンを塩焼きにしていただきました。
妻と二人、無言、沈黙、会話無し・・・そして、「美味しいねえ。」と涙声。
今、スーパーストアの魚売り場などで見かける生のニシンは、山の温泉宿で出されるイワナの塩焼きよりも小さく、まるで大き目のワカサギといったところですが、これは本物のニシン、カドイワシ。 子供の頃に食べたニシンはまるまるとして大きく、しっかりとした数の子が入っていたものです。 私の故郷では、生のニシンを<カドイワシ>と呼んで、割合頻繁に食卓に乗る庶民的な魚でした。 村に来る行商の魚屋のトロ箱から、数の子の入った大きなメスばかりを選んでは嫌がられ、叱られた記憶があります。
私の皿に乗ったニシンにも、黄金色のしっかりとした数の子が入っていました。 妻のは白子。
数の子の半分を妻の皿に乗せてあげましたね。
08/12/19 @ 11:22 AM JST [続く……]
忠類川カレンダー
今年もまた疋田さんから忠類川のカレンダーが届いて、早速部屋の壁に下げました。
2009年のカレンダーには林さんが居て、さらにその他の名人上手たちに混じって何と私までが居ます。 これじゃ、また来年の秋も忠類川に行かなきゃならないような強迫観念にとらわれちゃいます。
もう忠類川の鮭釣には何年通っているのか、何回行ったのか・・・確か、忠類川での鮭釣が始まった翌年からだったと思います。
忠類川での「サケ・マス有効利用調査」が開始されたのは1995年のことですから、私は1996年からということになります。
え!・・・ってことはもう12年? あれから12歳も歳を取ったんですねえ。
あと何年通えることやら・・・なんてことは考えずにせっせと鮭釣に精を出しましょう。
12年通っても、まだ行きたくなる忠類川の魅力って何だろう、と思います。
ひとつは、毎年のように変化する自然のままの川の条件です。 行くたびに流れが変わっていて、ポイントも移動しています。
遡上する鮭やカラフトマスの数や大きさも年によって違います。
さらに、忠類川以外での釣りも魅力です。 鮭釣に飽きたら源流部でのオショロコマ、屈斜路湖や阿寒湖でのニジマス、アメマス狙いという手もあります。 今年は足を延ばして猿仏川のイトウを狙いました(ボウズでしたが)。
食い物の旨さも大きな魅力です。 秋味、イクラは勿論ですが、タラコ、北海シマエビ、カニ、ホタテ、巨大アサリ、サンマ、ホッケ、メバル、ソイ、何種類ものカレイ、イカ・・・切りがありませんね。 私が必ず買って帰るものに、羅臼の昆布エキスとタラの干物があります。 タラの干物を薪ストーブの上で、2日も3日かけて野菜類と一緒に煮込んだスープは絶品です。
サーモンパークの売店で売っている地魚の新鮮さと安さは驚異そのものです。 山のように買っては自宅や東京の娘たちに送ります。 嬉しいのは、冷凍で送られてきた魚が全て内臓やエラを取り除いてある上に真空パックされていること。
そして、やはり人です。 10年以上も通っていれば、何人もの人たちと顔見知りになり、親しくなり、歓迎されるようになります。
中でも、藤本さんや疋田さんには最初の年からお世話になりました。 今では、鮭釣が楽しみで標津へ行くのか、彼らに会いたいから標津に行くのか区別が付かなくなっています。
いつお目にかかっても変わらない藤本夫人の若さと優しさと美しさは、もうこれは奇跡ときり言いようが無くて、横井さんなんて卒倒しそうになってましたし、「さわ」のご亭主夫妻だって、「武田」の看板娘だって会えばほっとして嬉しくなります。
やはり来年も忠類川の鮭釣を理由に、標津の人々に会いに行きます。
08/12/18 @ 12:03 PM JST [続く……]
狸の旬は今月いっぱい
今朝、我が家の犬が林の中で狸を追い詰めました。
「カーッ!カーッ!」と犬を威嚇している声がするので見に行ったら、痩せた狸が太いホウの木の根元で牙をむき出して怒っていました。 我が家の犬にとっては、狸は獲物でも何でもなくてただの遊び相手らしく、嬉しそうに尻尾を振りながら狸の顔を覗き込んでいます。 狸こそいい迷惑です。
ちょうど欣也さんが通りかかったので、朝の挨拶をしながら狸の話をしたら「デカかったか?」と聞きます。
「いや、それほど大きくもなかったし、ひどく痩せてたよ。」と答えたら、「んだが〜。 食っても旨ぐねえな。」と残念そうに通り過ぎました。 先日も欣也さんちの雌犬が小さな狸を川岸まで追い詰めて大騒ぎをしていました。
その時も欣也さんは「いまちっとでっけえと食っても旨いんだけどなぁ。」と残念そうでした。
もう30年くらいも前に、浦和に住んでいた友人の町田クンが「狸を食わせるから・・・。」と言うんで、わざわざ六本木から出かけていったことがあります。 季節は忘れましたが、少なくとも寒い時期ではなかったと思います。
町田氏のアトリエで出されたのは、野菜がたっぷりと入った醤油仕立ての狸汁でしたが、あまりの悪臭に箸をつけることができませんでした。 ホストの町田氏は、「臭いなんか気にならないだろ。 旨いよ。」などと言いながら、他にも呼んでいた仲間たちにもしきりに勧めていましたが、彼らも逃げ回っていたような気がします。
それ以来、私は狸は悪臭がひどくて、とてもとても食えないもの、と思い込んでいるので、欣也さんに「臭くないんですか?」と聞いたら、「いや、今の狸は臭ぐね。」とのこと。 そう言えば、大井沢に越してきてから、何人もの人に「狸は1月にはいると臭くてダメだけど、12月いっぱいは臭いが無くて旨い。」と聞かされたことを思い出しました。
とは言われても、やっぱり狸を試す気にはなれませんね。 それに、私の頭の中では食材としての狸を完全に拒否しています。
それにしても大井沢の皆さんのグルマン振り、グルメ振り、ジビエ好みには驚かされます。 中国の食通が好むという彼のハクビシンだって食うらしいし、アナグマなんて絶品だと言います。 今はもう食べませんが、古老たちの話によればカモシカも割合ポピュラーな味だったようで、「旨い。」と言う人も居れば「山羊肉やマトンの様な臭いがして旨くない。」と言う人も居ます。 好みの問題なんでしょうね。
私がここに来て味わった地元のジビエと言えば熊と兎くらいのものですが、ま、私の好みから言えば、普通に市販されている普通の肉類の方がはるかに美味しいですね。
でも、雪が締まった春先にカンジキやスキーを履いて山に入り、鉄砲で兎を撃ってくるのは楽しみでもあり、昔ながらの季節の味でもあり、そしてご馳走なんでしょう。 標津の稲葉さんだってヒグマの肉には目が無いようで、「次は脂身の多いところをくれ。」と、今にもよだれが垂れそうな表情をしていましたし、やはりよそ者には理解できないその土地それぞれの美味が存在するんでしょう。
それもまた文化ですね。
08/12/16 @ 12:37 PM JST [続く……]
朝日の朝日
「朝日の朝日、夕日の月山」と言うんだそうだけど、今朝の小朝日です。
この右には大朝日があって、私はいまだに「しょうあさひ」なのか「こあさひ」なのか「だいあさひ」なのか「おおあさひ」なのか呼び名が分からずにいます。
今朝はよく締まった雪の上に薄っすらと新雪が積り、我が家の犬はカモシカ、テン、キツネ、ウサギ、リスなどの足跡を追い回すのに大忙しでした。
それはいいんですが、動物の糞があると、その上で全身をこすりつけて転がりまわります。 野鳥が食われた跡でも、雪の上に散乱した羽根の上で転がります。 何の意味があるのか、いまだに全く分かりません。
その度に、家に戻っては全身シャンプーです。 犬は犬で、「風呂!」と言われると、トコトコと風呂場に行きます。
結果として、我が家の犬はいつも清潔でメリットの香りってことになってしまいます。
08/12/15 @ 07:30 PM JST [続く……]
山は雪
一緒に歩いていた犬はテンの足跡を追って姿が見えなくなり、見上げれば山は雪。
08/12/14 @ 06:43 PM JST [続く……]
寒々として・・・
見慣れた風景なのに、冷たい雨で溶けかけた雪景色は変に寒々として荒れ果てた感じがします。
ふと、先日の東大で行われた研究会で、研究テーマを発表していた山形公益文科大学教授のPPT(懐かし〜!)を思い出しました。 その1枚に、山形県は「豊富な自然環境→豊富な自然エネルギー」と言うのがありました。
でもねえ、丸山健二の言う「<自然が美しい>とは<生活環境が厳しい>と同義である。」と同じように、<自然環境が豊かである>と<人が住んでいない>とは同義なんですね。
人の住んでいない所で「地域に根ざした自然エネルギーの利用」なんてのをいくら推進してみても、肝心の利用者が居ないんじゃ意味が無いんじゃないかなあ・・・などと思ったりもする訳です。
象牙の塔とか、象牙みたいな塔なんかに住んでいる人たちには、そんなことも分からないんですかねえ。
そうそう、島根の山村でとってもエコロジカルな郷創りに取り組んでいる研究グループに対して、地元のお婆さんが「あんたたちも大変だねえ。 でも、この村にはもうすぐ誰も居なくなるけど、その後はどうすんの?」と聞いたそうです。
それはそれとして、MSIMEの機能がただひたすら悪化と劣化の道をたどっている理由が分かりません。
あたかも認知症・・・と言うよりは痴呆症が急激に進行しているかのようです。 いくら何でも、これじゃ使用に耐えません。
MSKKの皆さん、どうしてこれほどまでに馬鹿でひどいソフトにしちゃったんですか?
08/12/13 @ 05:15 PM JST [続く……]
「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」って?
3日ほど東京に行ってきました。
科学技術振興機構・社会技術開発センター(なんてのが有るのも知りませんでしたし、今でもこれが何なのか分かりません。)が中心になって進めているらしい「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」を実現するための方法論確立という、すごく高邁にして壮大な研究開発プロジェクトの合宿に参加するのが目的でした。
約100名の参加者の中には文部科学省の役人も居たようですが、ほとんどは全国から集まった大学のセンセーやら研究者たちばかりで、私だけがひどく異質で浮いた雰囲気でしたね。
で、何で私がこの異質な場に居たのかというと、大井沢の区長さんと龍太郎さんと、大川先生と両角先生に押し付けられたからなんです。 で、なぜそんな事になってしまったのかと言うと、東北大学の研究グループが大井沢で「東北の風土に根ざした地域分散型エネルギー社会」の<エコミュゼ>実現を目指すからなんです。
で、東大の本郷キャンパスで行われた合宿に参加して見て、とても驚きました。 どうやら冗談でも遊びでもゲームでもなくて、まじめに研究しようとしているらしいんですが、発表される研究プロジェクトやテーマの内容も、私の頭上を飛び交う議論も、全く意味不明、理解不能で、とてもとてもこの世の物とも思えませんでしたね。
あの人たちはどうやら現実の社会では生活していないらしく、地方社会の疲弊や過疎化高齢化にも気付かずに、あるいはそんな現実世界で起きていることなんてのは無視して、机上の空論、不毛な議論、非現実的な前提条件を積み上げた架空のシミュレーション等々を楽しんでいるらしい。
でも、まあ、近代社会においてはこんな無駄とも思えることにエネルギーを使っている人たちの存在も大切なんでしょう。
オワンクラゲが光る原因を突き止めてノーベル賞を貰う人だって居るんだから。
とは言っても、私があんな世界に巻き込まれるのはマッピラゴメンです。 とてもとても付き合ってられません。
08/12/12 @ 04:02 PM JST [続く……]
一晩で50cm
昨夜からの雪は一晩で50cmも積りました。
散歩の途中に見つけた、通り過ぎたばかりのカモシカのラッセル跡です。
その跡を我が家の飼い犬が追跡しようと身構えています。
08/12/07 @ 12:13 PM JST [続く……]
気になる<トマソン>風外装
以前から、見るたびに興味と想像を掻き立てられる外装の作業小屋があります。
私は、青いトタンの外装部分が元々の小屋のサイズで、後に増築した分が灰色のプラスチック波板の外壁になっているのではないかと推定しているのですが・・・。
いずれにしても、なんだか赤瀬川原平センセー好みのトマソンっぽくて、ホノボノとして嬉しい風景です。 これは「大井沢遺産」に指定すべきですね。 内部の構造が気になっています。
08/12/06 @ 10:18 AM JST [続く……]
朝の障子ガ岳
障子ガ岳に朝日が当たって、淡いピンクに光っています。
今朝の気温は0℃。 とても暖かく感じます。
08/12/05 @ 03:19 PM JST [続く……]
夕暮れ
夕方5時、テラスからの月山、姥ガ岳、湯殿山。
6時。 南西の空に月(本当は三日月なんだけど、露出過多のようです。)、木星、そして金星。
車が一台通り過ぎました。
08/12/03 @ 10:07 AM JST [続く……]
大井沢に来て7年
軒下から庭先に続くキツネの足跡は、吉太郎さんのブドウ畑から速雄さんちの横を抜けて、山の方へ消えています。
ちょうど7年前の12月1日に私と妻は大井沢に引っ越してきました。
珍しく雪の遅い年で、私たちの引越し当日も雪は全く有りませんでしたが、冷え込んでガランとした室内には梱包したままの引越し荷物が山になっているばかりで、足元から突き抜ける寒さと圧迫するような冬空の暗さがひどく心細かったのを覚えています。
真冬でも暖房らしい暖房をしなくても半袖のTシャツ一枚で過ごせる東京のど真ん中からの移住ですから、頭の中では分かっていたつもりでも、さすがにその極端な落差には戸惑いました。
8年目に入って、もうすっかり大井沢での生活にも慣れたか・・・慣れはしましたが、正直のところ、まだまだ六本木の自宅に戻るとホッとくつろげる面も残っています。 あの生ぬるくて埃っぽく、排気ガスたっぷりの空気でさえも心地よく感じたりします。
もっとも、東京で会う友人、知人たちは私の顔を見ては「どこの田舎オヤジかと思った。」などと言いますけどね。
08/12/01 @ 11:14 AM JST [続く……]