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2003/02/01: "大井沢地区"
大井沢に釣が目的で通い始めたころ、大井沢は一つの細長い部落だと思っていました。
それは大きな間違いで、町村合併で西川町になるまでは九つの部落で構成された「大井沢村」という独立した行政単位だったようです。
今、大井沢地区を構成しているのは北から「桧原」、「黒淵」、「原」、「中村」、「萱野」、「中上」、「見附」、「根子」の八つの部落ですが、月山ダムができるまでは「片寄」(?)という部落が桧原の北に在ったそうです。 この「片寄」部落は、今では月山ダムの湖底に沈んでいます。
私は大井沢を単純に一つの集落として見ていたのですが、住んで見ると一つ一つの部落毎にそれぞれの特徴が見えてきます。
先ず、姓です。 「金子」という姓は桧原部落だけで、黒淵と原は「志田」と「渋谷」が混在し、中村は「志田」姓が中心。 萱野には「前田」が多く、中上は「佐藤」・・・と言った具合です。 人々の個性も部落ごとに微妙な特徴の違いがあるように感じます。
ただ、大井沢全体に共通しているのは外部からの人間に対する拒否反応が少ないということです。 むしろ、開放的と言ったほうがいいかも知れません。
今朝の朝日新聞に「田舎暮らしのこつ」みたいな記事が出ていました。
「こつ」と言った類(たぐい)のものは無いと思います。 都会で生活できないような人にとっては田舎での生活も難しいのではないでしょうか。 田舎だからと言って何か都会とは違う特殊な人たちが住んでいる訳でもないし、日本全国どこでも共通している文化的土壌の上で暮らしている訳だし、方言や訛りの違いはあっても同じ日本語で話しあえる訳だし・・・。
記事の中にもありましたが、むしろ問題なのは先に都会から移り住んだ「先輩」たちの的外れな「アドバイス」かも知れません。 それに、何とはなしに移住者同士でグループを作ろうとする傾向があるような気がします。
日本企業の海外駐在員たちはすぐに日本人同士の「村社会」を作りたがる、と言ったような話を聞きますが、都会から移り住んだ連中が村の中に「村」を作るなんてのはナンセンスの極み。 洒落にもオチにもなりません。
先日、ある会合で最近越してきた人と同席したら「そのうち、先輩としてのご意見を是非聞かせて下さい。」などと言われましたが、私などよりは先祖代々ここに住んでいる地元の「大先輩」たちのアドバイスを聴くべきです。