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2004/01/13: "東京は東北の玄関"
私の実家がある福島県郡山市のお年寄りたちの感覚では、どうやら東京という地域は英語でいうところの「Greater Tokyo」とほぼ重なっているようで、埼玉県大宮(さいたま市の一部になったんだっけ?)や神奈川県川崎市も、千葉県千葉市も「東京」と呼びます。
不思議というか、可笑しいのは、それだけ広範な地域を「東京」と呼びながら、東京を人口300人程度のこじんまりとした集落のようにイメージしているらしいことです。
だいぶ昔の話になりますが、実家で休暇を過ごしていたら、たまたま訪ねて来た近所のおばさんと以下のような会話になったことがあります。
おばさん:「うちの息子も東京に居るんだけど、知らないかなあ?」
わたくし:「東京のどこに住んでるんですか?」
おばさん:「川崎って言うとこだけど・・・。」
わたくし:「そうなんですか。 残念ながら知らないですねえ。」
おばさんは六本木に住んでいる私が「同じ東京の川崎」に住む息子の消息を知らないという事がかなり意外だったらしく、同時に少しがっかりしたような様子でした。
ここ大井沢でも、時おり似たような会話になることがあります。
しかし、これは何も東北の片田舎だけに限った話ではなくて、北海道でも、関西や九州でも、その他の地方でも同様の誤解が起きてるんじゃないかと想像しています。
谷崎潤一郎を読んでいたら、東京の衣食住に関して散々こき下ろしたあげくに、「結局それは、東北人の影響ではないのか。」などと書いています。 続けて、「現代の東京(と言っても1930年代のことですが)のイキとかイナセとか云う奴」も所詮は北関東や東北人が持ち込んだヤボなものに過ぎない・・・みたいなことも言っています。
で、関西から見ると「何となく東京が東北の玄関のように見え、此処から東北が始まるのだと云う感が深い。」んだそうです。
谷崎潤一郎は日本橋蛎殻町の生まれのはずなんですが、あの徹底した東京嫌いというか東京文化否定というか、あれは何なんでしょうね。単にポーズとして悪ぶっていただけなのか、それとも東京在住の小説家仲間、特に佐藤春夫あたりに対する嫌味なのか、ちょっと異常で理解できません。
しかし、彼が言うところの「東京が東北の玄関」という感じは何とはなしに納得が行きます。 それは、多分、谷崎だけが持っていた感覚ではでは無くて、かなり広い範囲の日本人たちが今でも潜在的に感じているものではないかという気もしてきます。
上野駅をテーマにした歌が盛んに作られ、「上野発の夜行列車降りたときから・・・」などという歌詞が極めてスムーズに気持ちの中に入ってきてしまうのもその証拠の一つかもしれません。
(上野で思い出しましたが、まだ3、4歳だった姪が上野動物園からの帰りに、「ねえ、下の動物園はどこにあるの?」としきりに質問します。 しかも、次は下の動物園にも連れて行ってくれ、とせがみます。 しばらくの間、彼女の質問の意味を理解できませんでした。)
で、谷崎によれば、青森の人たちにとっては仙台が東京の玄関なんだそうですが、今でもそうなんでしょうか? 北海道の人たちにとっての東京の玄関は千歳とか羽田になっちゃうのかなあ。 まさか、青函トンネルじゃないでしょうし。
昔、「探偵ナイトスクープ」でやっていた「アホ、バカ分布図」的な興味が湧いて来ます。
甘ったるい刺身醤油が口に合わなくなりつつある博多出身で東京在住の方などは自分が東北の玄関で寝起きしているなんてことを自覚してるんですかね。