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2005/12/02: "黒淵部落の入り口、洞門跡の崖"
黒淵部落の入り口、県道沿いにある高さ40mほどの崖は今でも<洞門>と呼ばれています。
昔、県道が今のように整備されるまでは<恩讐の彼方に>を思わせるような洞門があり、大井沢と外部とを繋ぐ北の出入り口だった所です。
昭和の初期か大正のころにでも撮ったと思われる洞門の写真を見たことがあります。 人一人通るのがやっとだったのではないかと思うような狭くて小さなトンネルです。
不思議なことなのですが、その洞門がいつ頃まであったのかを尋ねても、誰もはっきりした年代を答えることが出来ません。 町役場にでも聞けば分かることなのでしょうが、いつも忘れてしまいます。
ここでは100年も前に起きたようなことを、あたかもつい最近のことのように話されたりします。 昨年の話と30年前の事が混在して話題になるなどということはしごく当たり前のことです。 岩魚を100匹も200匹も釣った沢の話も、一抱えもあるような舞茸や背負いきれないほどの千本シメジの話も、よく聞けば半世紀以上も前のこと。
話を聞きながら眉に唾液を塗る必要は無くても、過去、過去完了、大過去などの時制の一致に責任があるのは聞き手の方です。
話題のほとんどは時空を超越していて、場所の特定でさえも難しい場合があります。
つい先日(3日前のことですが)も、東京の話題になりました。 私の知らないことばかりです。 聞いているうちに、それは東京オリンピックよりも2〜3年前の川崎でのことだったということが理解できました。
それにしても、あの微に入り細にわたる表現力と記憶力の確かさにはいつも驚かされます。 私などは麻布十番の<あべちゃん>の品書きでさえも思い出せないのに、駅前の飲み屋のメニューから値段までをスラスラと言えます。
何十回も何百回も同じ話題を繰り返しているうちに、記憶がファームウェアを通り越してハードウェア化してしまったようなものなんでしょうか。 ただ、興味深い話を聞かせていただく方としては、もう少し地理的、時系列的な整理をお願い出来れば・・・とも思います。 さらに、同じ話は3度くらいで打ち止めにしていただければ相づちに苦労するようなことも無くなるのですが・・・。