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2009/10/01: "<原店(はらみせ)>閉店"
<原店(はらみせ)>として長い間(私が知らないほどの長い間)、村の人たちに愛されてきた大井沢随一にして唯一の名店が今日で営業を終わりました。
とても寂しいことです。 近年、オジサンの体調は良くないと聞いていましたが、オバサンはまだまだとても元気なのに・・・。
これで大井沢には商店が1軒も無くなってしまいました。
2、3年前、山形短期大学の学生たちが大井沢の活性化について感動的なアイディアを出してくれたことがあります。
コンビニやショッピングモールを誘致する、テーマパークを造る、Softbankの携帯電話が通じるようにする、etc, etc・・・。
昨年の秋から、東北大学、東京大学、茨城大学などの先生方が大井沢を脱化石燃料、CO2排出量削減、エコツーリズム、ESD(持続発展教育〜何のこっちゃ?)等のモデル地区、さらには大井沢全体を<エコ・ミュゼ>(知りませんでした。 仏語だそうで、英語ではEco Museumとも言うらしい。)にしちゃったり、(大井沢)地域を再評価し、次の展望を持った地域づくりを考えたりして、「(大井沢の人たちが)自ら生活様式を選択することで、次の世代へと地域を伝えてゆく」プロジェクトを進めてくれています。
しかも、驚くことに来年の3月までには目鼻をつけちゃうんだそうです。 そのスピードたるや、最先端のIT企業も真っ青と言ったところです。
地域を再評価してくれたり、次の展望を持った地域づくりを考えてくれたりするのはとても嬉しいことなんだけど、話を聞けば聞くほど先生方の考えていることが、ここに住んでいる私たちの生活観や日常の現実からあまりにも離れすぎていて全く理解できなくなっています。
電力は小規模水力発電を活用し、山の木を切って炭を焼き、その炭を使ってエネルギー源にしたり、木炭自動車を走らせたり、灯油は止めて薪を焚いたりするんだそうです。 夢のような楽しい話ではありますが、当然のこととして、そのコストや労力は過疎化高齢化に悩んでいる大井沢の人たちが賄うってことらしい。 さらには、食生活までも昔に戻れって言うんです。 秋刀魚も鰹の刺身も、山形名物のイモ煮だって食えなくなっちゃいます。
これじゃあ、頑張って大井沢に残っている若い人たちだって嫌気がさして逃げ出しちゃうだろうし、結局は単に過疎化高齢化を促進するだけで終わっちゃうんじゃないか・・・なんてことを思うわけです。
そもそも、何で大井沢をそんなことの実験場に選定したのか、その理由が全く理解できません。
そんなことは大井沢の人たちにやらせる前に、先生方自身が昭和初期の日本人の生活を家族と一緒になって実践すべきだと思うんだけどね。 あるいは、都会で暮らしている人たちに、今よりもほんの少しだけでもいいから不便さを受け入れて貰ったり、全国の自動販売機を全廃したりする方が、よほど現実的で効果的だと思うんだけどなあ。
自分たちは大都会の大学の研究室に居て、高齢化に悩む大井沢の人たちに対してもう一度昔の辛く、厳しく、貧しく、寒くてひもじい生活に戻れだなんて、何を考えてんだろう? 何も考えてないんだろうなあ。 多分、大井沢をただの実験農場くらいには見てるんだろうけど、そこにセンセー方と同じ日本人が住んでいることなんて意識の外なんでしょうね。
大学のセンセー方の意識レベルよりは、山形短期大学の学生たちが言ってる事の方がよっぽどマシです。 コンビニやショッピングモールが有って、Softbankの携帯電話やiPhoneが使えた方がずっと嬉しいに決まっています。 テーマパークのほかにも大井沢ヒルズや西川ミッドタウンなんてのも有ったら文句無しですね。
そうなれば原店のオバサンにも、心置きなく店を閉めてゆっくりと休んでもらうことが出来そうです。
(もっとも、東京の港区では我が家の子供たちが通学した麻布小学校が生徒数の減少で存亡の危機にあるようだし、日本最初の公立小学校の虎ノ門巴町小学校も数日前に廃校セレモニーが行われたと言うし、私が住んでいた六本木のマンションでも高齢化が進んでいて、建物の耐震工事も建て替えプランも問題山積なんだそうです。 大井沢でも港区でも、原店もハラストアも廃業しちゃうし、いずこも同じ秋の夕暮れ・・・ってことなんですかね。)