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2005/04/16: "鯖の味噌煮が好きで"
時おり、鯖の味噌煮が食べたくなります。
郡山の実家で貰った沢山の牛蒡があるので、たっぷりと入れてみました。 味噌煮に添えてあったり、鯛の兜煮と一緒に出されたりする牛蒡も好きなんです。
そう言えば、大井沢では土が浅すぎて牛蒡やトロロ芋の様な長い根菜はうまく育ちません。 特に妻が借りている畑の辺りは、かつては河原だったらしく30cmも土を掘れば大きな川石が無尽蔵に出てきます。
大井沢の人たちは、昔は寒河江川の氾濫でずいぶんと苦労したそうです。 護岸工事によって、洪水による被害が無くなったばかりでなく、耕地面積も大きく増えたと聞きます。
都会から来る無責任な釣り師たちは、「昔の川に帰せ・・・。」などと言います。 <プロ>と呼ばれる釣り師たちほど、そんなことをしたり顔で言いつのります。 要するに、自分たちの遊びのために地元の人たちの生活を犠牲にしろ、と言っている訳です。 そんな人たちが<自然保護>を唱えたりしているのを聞くと、中村大橋の上から寒河江川に突き落としたくなったりします。
昔、銀座の裏通りに鯖の味噌煮定食だけを出す店がありました。 メニューはそれだけで他は何もありません。
昼きり行った事が無いので、夜は何をやっている店なのか知りませんでしたが、おばさんたち三人だけで切り盛りしていました。 店の中は10人も座れば満席のカウンターだけで、カウンターの中は畳敷きです。 昼時は順番待ちが出るほどでかなり流行っていたのですが、あれはおばさん達が趣味でやっていた店かも知れません。
畳の上に正座した最年長の女性はただひたすら味噌煮の鍋に付きっ切りで、客が入ってくると無言で鯖と二切れか三切れの牛蒡を皿に盛り付け、他の二人に手渡します。 この二人の女性もほぼ無言で、お盆にご飯、味噌汁、漬物、それにこってりと煮込んだ味噌煮の皿を乗せて客の前に出します。
「いらっしゃいませ。」や「ありがとうございました。」の声も、客が注文する声も無く、変に静まり返った不思議な店でした。
黙って座った客に、黙って鯖の味噌煮定食を出し、黙って代金を受け取るだけです。
私が最初に就職した会社には、とても怖い女性編集者たちが居て、どう言う訳かこのお姉さま達は鯖の味噌煮が好きでした。 昼飯時になると、週に1回は必ずここに付き合わされたものです。 あの店の鯖を煮込んでいた味噌ダレには、老舗の鰻屋のタレ同様に、100年も前から使い込んでいたのではないかと思えるほどの色合い、コク、とろみなどが付いていたように思います。
私が働いていたオフィスは旧電通通りに面していたものですから、ずいぶん贅沢な昼飯を食っていたような気がします。
銀座4丁目から8丁目、それに有楽町や新橋辺りの有名店の昼飯はほぼ征服していたと思います。 特に仕事先との昼食は豪華でした。 フレンチ、イタリアン、鮨、天ぷら、中華、すき焼き、蕎麦、料亭、煉瓦亭、ケテルス、アルテ・リーベ、竹葉亭・・・あれらの店は今でも存在してるんだろうか? それにしても、何で30前のサラリーマンがあんなに贅沢な昼飯を毎日の様に食っていたのか不思議になります。 広告業界という職種のせいだったのかも知れませんが、月給なんて10万円にも満たなかったと思うんですけどね。 夜は夜で毎晩の様に飲んでいたんだし・・・。