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2005/11/12: "釣に関する個人的な諸々のこと(8)"
「釣に関わる」という言葉も変だけど、釣りの同好会に入ったり、釣り関連の組織に加わったり、魚類や河川環境の保護活動などの「釣に関連する活動」に関わったりということがあります。
どうも、私はこの種の活動が苦手です。 すぐに嫌になるか、参加する前にしらけてしまったりします。
釣りという遊びは、元々が極めて個人的でエゴイスティックな遊びですから、複数の人間が集まるグループや組織になった途端に何らかの破綻が起きるのは当然のことです。
昔、私も、自分の無責任でしらけた性格をすっかり忘れて、そんな活動に関わりかけたことがあります。 でも、すぐに止めました。 複雑に絡み合った思惑や利害を乗り越えて、それでも何らかの活動を続けるということには大変なエネルギーと時間が必要で、経済的負担や精神的なストレスも馬鹿になりません。 嫌な思いをしてまで他人の釣りのために自分のエネルギーと時間を使うのは私の性格とは全く相容れないものです。
考えてみれば、私の場合は親しい友人たちと一緒に釣をし、釣を語ることはあっても、「釣り仲間」という人間関係はありません。 釣がきっかけで友人になった人たちも居ますが、それは釣を抜きにした付き合いでも気持ちがいいし、楽しいからであって、友人になった後は釣りなんて関係が有りません。
「同好の士」というだけで、誰かと親しくなれるということが私には理解できません。 たまたま趣味が同じだからと言って、気が合うことなんてことはほとんど有り得ないと思います。 (よく、出身地が同じだったり、出身校が同じだったりするだけで親しげに近寄ってくる人も居たりするけど、あれも理解できません。 嫌悪感を覚えることさえあります。)
でも、何で私の友人たちにはフライフィッシングをする人が多いんだろう? 親しい人たちのほとんどがフライフィッシャーです。 もっとも、釣をする前から親しくて、後で一緒にフライフィッシングをするようになった人たちも沢山いるのですが。
いずれにして、「釣に関連したこと」に関わるのは、例えそれがビジネスでも私には向いてませんね。