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2008/08/06: "病院の待合室で「実存主義とは何か」"
生活習慣病気味だと言われて、町立の病院へ月に一回は定期検査に行っています。
東京に居るときは、週7日の外食、外飲、暴食、暴飲、梯子に次ぐ梯子・・・ってな生活だったもんですから、会社に強制されて行く年一回の検診結果は最悪、最低、あるいは最高でしたね。
大井沢に越してきたら、紅灯の巷はもちろんのこと赤提灯も縄のれんも無くて、クラブもキャバレーも皆無なんです。 それに毎朝5時に犬に引っ張り出される散歩、マイナスイオンたっぷりの澄んだ空気、清貧の食生活(かな?)等々で、健康な人よりも健康になってしまって、唯一の不安は長生きしてしまいそうなこと。
そんな訳で、今日も年寄りたちの憩いの場、町立病院へ。 いつも2〜3時間は待たされるので、必ず本を持参します。
何か無いかと本棚を見渡したら、埃をかぶったサルトル全集に目が止まりました。
仏文を専攻していた学生の頃に必死になって読んで、ほとんど理解できなかった一冊を持って行きました。 耳が遠くなったお年寄りたちの怒鳴り合うような西川弁、大井沢弁の会話を聞きながら、深遠なる実存の哲学に触れてみるのもいいかな、と心が動いた訳です。
不思議ですね。 何でこんな当たり前のことが分からなかったのかなあ。 病院の広い待合室に響き渡る西川弁、大井沢弁の方がはるかに理解困難です。
今になって読んでみると、当然のことながら新しくも何ともなくて、難解どころか、むしろ常識とさえ言ってもいいようなことばかりです。 これも半世紀という時代の流れのせいなんでしょうかね。 もちろん、私がひどく出来の悪い学生だったというこもあるんですけど。
1950年から1960年代と言うのは、今思い返して見ると変に熱くて混乱していて、学生たちは今の様に覚めても白けてもいなかったと思います。 ル・クレジオだの、ジョルジュ・バタイユだの、やれ実存主義だの構造主義だ、ホットジャズだクールジャズだ、ベートーベンだワーグナーだのと、訳も分からずに神田の汚くて暗い喫茶店で気取った議論(にもならない議論)をしていたものです。
ま、見栄を張って、背伸びをして、自分の理解力では到底理解できないようなことをさも分っているかのような顔をして、神田川の汚泥が詰まっているに過ぎない頭のくせに、深刻な表情を作っては飲めもしない安酒をかっ食らって二日酔いにのた打ち回る・・・なんてことも若さの特権だったんでしょう。
それにしても貧乏だったなあ。 皆が公平に貧乏でしたね。