小さな養殖場で釣りをする釣り人
今朝早く、犬を連れて散歩をしていたら、川沿いにあるニジマス・イワナの小さな養殖場のプールに毛鉤を打ち込んでいるテンカラ釣り師が居ました。
昨日から川のそばに神戸ナンバーのワゴン車を止めていた釣り師です。
私に見つかって詰め寄られ、嘘涙を流しながら謝っていましたが、絶対に許せない行為です。
3mの雪の中で稚魚から育て、それを売って生計の足しにしている人の生活を脅かす悪質で卑怯な犯罪です。
栽培している茸や山菜にしてもそうですが、苦労をして育て、やっと売り物になったところを、ただの遊びで盗まれてしまう人たちの悔しさ、腹立たしさ、辛さ、惨めさ、悲しさに思いが及ばないような連中には大井沢には来てもらいたくありません。
今日はとても腹を立てています。
08/08/30 @ 05:05 PM JST [続く……]
雨ばかり
08/08/29 @ 08:05 PM JST [続く……]
けっこう疲れるんです。
日曜日、月曜日の2日間は宮城県丸森町と栃木県那須町へ大井沢地区による総勢15名の研修旅行。 いやあ、もの凄く勉強になりました。
そして昨日は、原の96歳で亡くなられた方の葬式。
自分のBlogを開いてみれば、スパムコメントの嵐。 当面はコメント受付を停止します。
んな訳で、睡眠不足も加わってちょっと疲れました。
宮城県丸森町の名物(らしい)イノシシ肉のレトルトカレー。
「これが噂の・・・」って、聞いたことがありませんでした。 売れてるかどうか、も聞き漏らしました。
08/08/28 @ 09:35 AM JST [続く……]
脅威の威力: 特製くるみ割り
山で拾ったまま忘れていた古い胡桃を見つけたので、先日いただいた関の手打ち<特製くるみ割り>を試してみました。
少し握力は要しますが、脅威の威力を発揮しました。
薪ストーブの上かフライパンで胡桃を焼き、ひび割れを作ってからなら、さらに簡単に割れると思われます。
ただ、使いながらも刃先がちょっと怖い雰囲気でしたね。
今年の冬は、硬い殻をハンマーで叩き割らなくても胡桃を味わうことが出来そうです。
08/08/22 @ 11:04 AM JST [続く……]
やっぱり秋ですね。
山百合もカサブランカも終わって、庭先の鹿の子百合にはいつもアゲハチョウがまとわりついています。
鹿の子百合なんて植えた記憶も無いのですがいつの間にか何本も生えてきて、今では沢山の花を付けるようになりました。
この百合は園芸種ではなくて、山百合同様に野生種なんでしょうか。 大井沢では珍しくない花です。
08/08/21 @ 11:10 AM JST [続く……]
桃は嫌いです。
本当に美味しい桃をいただきました。
今朝、冷蔵庫で冷やしてあったのをひとつ食べました。 少し硬めで、適度な酸味もあり、甘さも香りも文句無しのとても美味しい桃でした。
でも、私は桃が嫌いなんです。
先ず、あのうぶ毛が何だかチクチクしそうで嫌です。 実際には柔らかくて痛くも何ともないのですが。
次に、皮を剥くのが面倒です。 桃の皮はとても薄くて、それに良く切れるナイフじゃないと熟れた柔らかな桃の皮は剥きにくくて、果汁がだらだらと垂れて嫌になります。 皮を剥きにくくしている要因はもうひとつあります。 桃特有の凹みです。 この凹みがあるばかりに、林檎や梨の様にスルスルと皮を剥くことが出来ません。 私は貧乏性で、果物の皮を出来る限り薄く剥こうとすることにも原因はあるのですが。
そして、あの大きくて硬い種が最大の欠点です。
アボガドほどではなくても、せめて杏かネクタリン程度には果肉から種が外れてほしいものです。 「桃太郎」の話では、桃は簡単に割れたことになってるんですが、あれは多分、桃という果実の構造や特性には全く無知な人の作り話ですね。
果肉を最大限に確保しようとして、種ぎりぎりにナイフを入れると、必ずと言ってもいいほど刃が種に当たってイヤ〜な気分になります。 種を避けて、少し余裕を見てナイフを入れると、今度は予想外に沢山の果肉が種についたまま残るので、もったいなくて種を齧ることになります。 果物を切りながら、最後に種を齧っている姿など絶対に人には見せたくありません・・・と書いて気付いたのですが、よその家に行っても桃を出されることがあります。 その家の主婦なり主夫なりは客に出すために桃を切りながら、やはり残った種の果肉を齧ったりしてるんでしょうかね。 我が家は居間も客間もいっしょくたで、しかも台所はオープンで居間と一体になっているので、客に隠れて桃の種を齧ることが出来ません。 困ったものです。 家の設計を頼んだときには、正直のところ桃の種のことまでは考えていませんでした。 ま、客に桃を出さなきゃいいだけのことなんですけどね。 あるいは、見栄をはって種を捨てるか、それともこっそりと種だけを冷蔵庫に取っておいて、客が帰ってからゆっくりと心行くまで齧り心地を楽しむか・・・。
08/08/19 @ 11:40 AM JST [続く……]
盆が過ぎればもう秋
盆が終わり、雨が上がれば空気の透明感も光の色もすっかり秋の雰囲気です。
08/08/17 @ 06:00 PM JST [続く……]
野の百合
これは家の近くで野生化したカサブランカ。
数年前に村の人から貰った球根を妻が「居間から見えるところに・・・。」と植えたものです。 ほとんどは消えてしまったのですが、これだけが残っていて山百合が散った頃に咲きます。 これもそろそろ終わりです。
08/08/16 @ 10:56 AM JST [続く……]
雪の大井沢から残暑見舞い
残暑お見舞い申し上げます。
と言う訳で、大井沢はひどいアブです。
昨夜の夏祭りでも、生ビールを飲んで焼き鳥を食って、焼きソバを頬張りながらケーイチさんのカラオケ(これが上手いんです。)を聴いていたら、次々にアブに襲われるので、早々に逃げ帰ってきました。
今朝になっても被害の跡が痛痒くて仕方がありません。
08/08/15 @ 12:54 PM JST [続く……]
雨、そして今夜は夏祭り
しばらくぶりの雨は激しい雷雨になり、渇水だった寒河江川も平水を通り越して濁流になっています。
今日は早朝から車の往来が多いので不思議に思っていたら、若い人たちやお盆で帰省した人たちが集まって道路沿いの草刈りをしたんだそうです。
今夜は大井沢の夏祭りです。
売店では生ビールや焼き鳥もあるそうです。 盆踊りもありますが、大井沢では<盆踊り>とは言いません。 <祭り>ですから。
生ビールの前売り券を6杯分も買ってしまったので、妻と二人で出かけなければなりません。 売店が開く5時までには、雨が上がってくれればいいのですが。
大井沢のほとんどの家は神道なのですが、明治初頭まで続いた仏教の風習がいまだに色濃く残っています。 昨日の夕方、沢山の人たちが花や果物を持って墓参りをしていました。
08/08/14 @ 12:23 PM JST [続く……]
小さなクワガタ
今年はカブトムシもクワガタも全く見なかったのですが、今朝、玄関先の階段で小さなクワガタを見つけました。
私は昆虫にもほとんど知識が無いので、これが何と言う種類のクワガタなのか見当もつきません。
何だか、今年は蛍もイナゴもバッタも、虫全体の数さえも少ないように感じています。
ちなみに、クワガタが乗っているのは私の左手の親指です。 言わずもがなでしょうが、私の指はまるで白魚のようです。
08/08/13 @ 01:50 PM JST [続く……]
渇水、アブ、ウグイ
もう何日雨が降らないのか分からなくなっています。
寒河江川も大井沢川も異常に水位が下がっていて、渇水状態です。
80歳を過ぎた村の人が、「こんなに水が少ない寒河江川は見たことが無い。」と言っていました。
どこでも歩けそうなので、犬を連れて川に下りてみると、生温い水が流れていて、川岸ではすぐにアブの大群に襲われます。
橋の上からは浅くなった流れの中を右往左往している数十匹のウグイの群れが見えます。
ニジマスもイワナも避暑に出かけてしまって、全員留守のようです。
08/08/12 @ 01:24 PM JST [続く……]
口ばしの短い人は金沢<みやむら>のどじょうを食い損ねる。
私の母は、運良くご馳走に当たった人のことを「口ばしが長い」と言っていました。
例えば、到来物のメロンを切っているところにたまたま来合わせたような人のことをいいます。
そういう意味では、KM井さんは「口ばしの短い人」ということになりそうです。
そのKM井さんを天童駅まで送って、家に帰ってくると林さんから金沢<みやむら>のどじょうの串焼きが届いていました。
08/08/11 @ 03:19 PM JST [続く……]
関の業物 <特製 くるみ割り>
その辺の柔なナットクラッカーなんかじゃなく、頑丈で強力な胡桃割りが欲しいと言っていたら、千葉の館山市郊外に住む露木さん、川西さんから見事な業物が送られて来ました。
岐阜県関市の手打ちです。
箱の裏書には「西洋クルミならサクッと楽に割ることが出来ます。」とのこと。
大井沢の野生の胡桃でさえも簡単に割ってしまいそうな、ちょっと凄みのある雰囲気で、この秋が楽しみです。
08/08/07 @ 07:06 AM JST [続く……]
病院の待合室で「実存主義とは何か」
生活習慣病気味だと言われて、町立の病院へ月に一回は定期検査に行っています。
東京に居るときは、週7日の外食、外飲、暴食、暴飲、梯子に次ぐ梯子・・・ってな生活だったもんですから、会社に強制されて行く年一回の検診結果は最悪、最低、あるいは最高でしたね。
大井沢に越してきたら、紅灯の巷はもちろんのこと赤提灯も縄のれんも無くて、クラブもキャバレーも皆無なんです。 それに毎朝5時に犬に引っ張り出される散歩、マイナスイオンたっぷりの澄んだ空気、清貧の食生活(かな?)等々で、健康な人よりも健康になってしまって、唯一の不安は長生きしてしまいそうなこと。
そんな訳で、今日も年寄りたちの憩いの場、町立病院へ。 いつも2〜3時間は待たされるので、必ず本を持参します。
何か無いかと本棚を見渡したら、埃をかぶったサルトル全集に目が止まりました。
08/08/06 @ 11:53 AM JST [続く……]
1時間で読み飛ばす「もの食う人びと」
本棚の隅にあった辺見 庸の「もの食う人びと」を読み返したのですが、闇鍋のような開高 健「最後の晩餐」の後では、テーマそのものは「最後の晩餐」以上に残酷で深刻なものなのに、あたかも風鈴を聞きながらの冷素麺か海苔茶漬け。 330ページのハードカバーをベッドに寝転んだまま1時間で読み飛ばしてしまいました。
この浅薄、この軽薄、この淡白はどこから来ているんだろうと不思議になります。
文体やボキャブラリーの差などではなく、作者が持っている体験の重さの違い、想像力と感性の差、そして時代の差なんではないかと思わせられます。
想像するに、「もの食う人びと」の著者よりも「最後の晩餐」の作者の方がはるかに飢餓にたいする恐怖感は深く強いものが有ったに違いありません。 1990年代のジャーナリストが持つ危機感よりは、1940年代を経験した小説家の不安の方がはるかに暗くて深いということなんでしょう。
08/08/05 @ 04:03 PM JST [続く……]
30℃を超えて灼熱地獄
昼を過ぎたら30℃を越えて、今が盛りの山百合までが暑苦しく、空の青さも鬱陶しいほどです。
08/08/04 @ 04:40 PM JST [続く……]
赤塚不二夫氏逝く
思い出すのはチビ太の大好きだったオデン。 竹串に刺したオデンはコンニャクと竹輪とあと1種は何だったんだろう。
好きな台詞は「忘れようとしても思い出せない。」
好きなキャラクターはうなぎ犬。
天才バカボンの父親と母親の、あの異様な組み合わせはいったい何なんだろう。
そう言えば、<じゃりン子チエ>の両親も変な夫婦だよね。 どっちの夫婦にも何か訳がありそうです。
追悼記念なのか、偶然の一致なのか、タイミングの良すぎるコム・デ・ギャルソン。
(ちなみに、チビ太のオデンは、コンニャク、鳴門巻き、ガンモドキとのこと。 オデン種に鳴門巻き? チクワブじゃないんだろうか。)
08/08/03 @ 09:17 AM JST [続く……]
ゴルトベルク変奏曲を聴きながら最後の晩餐を読む。
涼しいというよりも寒いほどの川風が吹き込んでくる居間で、キース・ジャレットの<ゴルトベルク変奏曲>を聴きながら読みかけの開高健<最後の晩餐>を読んでいると、これが実に快適なんですね。
キース・ジャレットの歯切れのいいバッハと開高健の芳醇にして濃厚、まったりとして濃密、絢爛にして爽快な文体とが絶妙に絡み合って邪魔し合うどころか、時には重く辛過ぎるような内容の話もすらすらと頭に入ってきます。
この<最後の晩餐>、書かれたのは1970年代の終わり、もう30年も前の本だと言うのに今読み返してみても少しも古くなくて、むしろエコだのスローだとのと喧しく言われるこの時代にこそ読むべき内容じゃないかと思えるほどです。
ビアフラの飢餓、アウシュビッツの極限、ソルジェニツィンの<収容所群島>・・・あるいは蚊の目玉の料理、鮭を徹底的に食う話から喫人にまで及んでいて、ただただ圧倒されるんですが、ペットフードの話ではちょっと考えさせられますね。
30年ほど前の日本では、年間4万8千トンのドッグフードが消費され、アメリカで263万トンだったと言うんです。 ちょっと気になって、現在の日本はどうなってるんだろうと思ったら、犬猫用を合わせればどうやら100万トン以上のペットフードが消費されているらしい。 100万トンがどれほどの量なのかイメージが湧いて来ないのですが、最近の国内産鶏肉、豚肉それぞれの年間生産量に匹敵する数字のようです。
ビアフラの話の中にこんな数字をはめ込まれてしまうと、いくら感性の鈍い私でもほんの少しなんですが心が痛みます。
だからと言って我が家の犬のドッグフードを減らすかと言えば、それはまた別の話になってしまったりするんですけどね。
08/08/01 @ 11:57 AM JST [続く……]