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2003/12/28: "北越雪譜"
こんな風景の中で鈴木牧之の「北越雪譜」を読み返していると、東京では見えなかった物が見えてきます。
東京ではイメージでしかなかった物が、ここでは現実として迫ってきて、「雪にはずいぶんといじめられて来た。」という表現も理解できるような感じがします。 雪による交通の途絶、肉体的な辛さ、経済的な苦しさなど以上に精神的な圧迫感や孤立感の方が辛かったのかも知れません。
まだ積雪40〜50cm。 これが2mにも3mにもなるのですから。
外から来る人たちも、そして村の人たちも「大井沢は遅れているから・・・。」と言います。
私には何が「遅れている」のか分かりません。
古いものが残っていることが、「遅れている」ということになるんでしょうか?
「色々な面で遅れている。」と言います。 「色々な面」とは?
ADSLが通じていないから? 新幹線駅から遠いから? ショッピングモールが無いから? パチンコ屋もコンビニも無いから? しゃれたバーやフレンチレストランも無いから?
「考え方が遅れている。」と言う人も居ます。 じゃ、どんな考え方が「進んだ考え方」なんでしょう?
村の習慣や行事を大切にしたり、パソコンが使えなかったり、インターネットが理解できなくても、だからと言って特別に遅れているとも思えないし、そんな人たちは東京だろうとシアトルだろうとニューヨークだろうと掃いて捨てるほどいる訳だし。
大井沢は遅れているのではなくて、東京とも山形市とも違うし、札幌や大阪とも違うというそれだけのことなんだと思います。
不便だとも言います。 しかし、便利かどうかなんてことも個人の価値観やライフスタイルの問題だと思っています。
雪の大井沢に居て「北越雪譜」を読んでいると、都会の生活も山村の生活も同列に並んでいるように見えてきます。
昼過ぎには小止みになった雪も、明日にはまた降り出しそうです。