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2004/08/05: "自己矛盾、あるいは偽善"
辺見庸の「もの食う人びと」に心を痛めながらも「すきやばし次郎 旬を握る」に生唾を飲み込み、生活習慣病を気にしながらも旨い物への執着を消すことが出来ないなんてどこか変だとは思うんですが、こんな不心得と言うか不謹慎なのは私だけなんでしょうね。
「もの食う人びと」は10年前に読んだまま内容もほぼ忘れていたのですが、「食の世界地図」(文春新書)を読んでいたらこの本からの引用があって、ふと引っ張り出して読む気になりました。
辛い内容がほとんどだし、決して楽しい本でもないし、無理にこじつけているような面もあったり、著者の意図がよく見えないような部分もあったりするんですが、それでも時折りは開いてみるべき本のような気がします。
それにしても、すきやばし次郎の鮨は美味しそうです。
実際、すごく美味しい鮨です。
むかあーし、一度だけご馳走になったことがあります。 が、もう一度行きたいとは思いません。 自腹はもちろんのこと、誰かにご馳走になるにしても嫌ですね。
私には普通に美味しい鮨屋の方が「次郎」よりははるかに鮨を楽しめます。 とは言っても、鮨らしい鮨なんて、もう何年も食ってません。
ところで、鮨らしい鮨の定義ですが、私の場合はつけ台に座って職人が目の前で握ってくれる鮨であることが最低条件です。 回転鮨には一度だけ入ったことがあるんですが、あれはどうも違うジャンルの食い物のような気がします。
で、「もの食う人びと」の最終章を読んでいたら、どう言う訳か涙が流れました。 やっぱり偽善かなあ・・・。