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2007/07/15: "暗い日曜日を明るくする「袖のボタン」"
樋口さんはこのコラムだけのために朝日新聞を取っていたそうだけど、連載が終わったのでもう朝日を読むのは止めたんでしょう。
単行本にまとまったものを読んでみると、連載時をはるかに超える面白さです。
勿論、丸谷才一氏の博覧強記は言わずもがなですが、脳細胞の一つ一つが刺激され、眠っていた何かが叩き起こされ、実に爽快な気分になります。
藤沢周平も池波正太郎も大沢在昌ももちろん面白いのですが、丸谷才一の面白さは全く質の違うものです。
彼は「谷川俊太郎の詠物詩」の中で、「文人の理想は、大衆は大衆なりにおもしろがるし、知識人は知識人なりに楽しむ」ものを書くこと、と言っていますが、彼が書くものの面白さと読後の満足感は、試験問題に全問正解したときのような心地よさにも通じるものがあります。
丸谷氏は常に読者を試していて、しかもそれを彼自身が楽しんでいる風でもあります。 と言うことは、彼と一緒になって彼が見せびらかす知性や教養を楽しめない読者からすれば、彼の書くものなど面白くもなんともなくて、「だからどうした?」で終わってしまうものなのかも知れませんね。
藤沢周平のどこに「奥深い」ものがあるのか、私にはよく理解できないのですが、「用心棒日月抄」は実に痛快そのもので、読んでいて楽しいし面白いし、それだけで十分で何も彼の時代小説から無理に人生訓を探し出してみたり、彼が描写する江戸の風俗や人情などに感心させられたりするのは、かえって無粋そのもののような気がします。 彼が舞台にしている海坂藩そのものも、そこに登場する人々も、全ては彼が彼の都合に合わせて作り上げた虚構の世界な訳で無理な深読みは不必要で、楽しく面白く、時にはほろりと涙ぐんだりしながら読めばそれでいいだけのものでしょう。
ま、丸谷才一氏の本にも人生訓なんてものは微塵も見当たりませんけどね。 でも、鬱陶しい空模様の日曜日を爽快に過ごす事はできました。