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2008/02/04: "雪が降る、あるいは雪に降られる。"
昨年の秋に妻の畑で取れた唐辛子がストーブの横で装飾品のようになっています。
いくら辛いものが好きな我が家でも、これだけの量を1年で使い切ることはできないでしょうが、ラー油やカレー、漬物、炒め物などには欠かせません。
たった数センチの雪が東京に降っただけで、テレビではトップニュースです。
2mの積雪の中で日常を過ごしていると、そんな大騒ぎが不思議で仕方がありません。 昔、札幌への出張の帰りに、東京に雪が降って羽田空港が閉鎖され、千歳で足止めを食ったことがあります。 あれも不思議でした。 千歳では大雪の中でもB747が普通に発着しているのに、羽田は数センチの雪で滑走路が閉鎖されたと言うんです。(ふと思ったんですが、飛行機にも夏タイヤとか冬タイヤなんてのがあるんでしょうか?)
私が麻布永坂の近くに住んでいた頃も、夜の間にほんの少しの雪が降っただけで、翌朝には坂の途中に何台もの車が放置されていたものです。 中にはガードレールに突っ込んでいる車も有ったりして、それらを眺めながらの出勤はそれなりに楽しいものでしたが、考えてみれば雪の少ない地方だって冬になれば冬タイヤに履き替えるべきなんでしょう。
先日、大井沢でも一晩に50cmほどの雪が積りました。
村の人に、「よく降りましたねえ。」と挨拶をしたら、「いやいや、ずいぶん降られたなあ。」という答えが返って来ました。
この「降られた。」には単に沢山の雪が降ったというだけではなくて、その雪で迷惑しているというニュアンスがこもっているんでしょう。
私は「雪に降られた。」という言い方をしたことが無かったので、ちょっと戸惑いましたが、東京に居るときも「雨に降られた。」とは言っていましたね。 でも、それは傘を持たずに外出したときや雨に濡れては困るようなものを外に出しているような時に言うことで、大井沢のように日に20〜30cmの積雪は当たり前で、しかも雪の降らない日の方が珍しいようなところで「雪に降られた。」と言うのは違和感を覚えたりもします。
とは言っても、大井沢の人たちにとっては雪は生活を圧迫する迷惑なもので、いつも雪を嫌い、雪から逃れたいと思い続けているので、やはり「降られた。」ということになるんでしょうね。