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2009/07/03: "アームチェア・フィッシャーマン"
開高健の「雨の日の釣師のために」を開くと、その冒頭に「部屋の中にいて戸外のあれこれの夢想にふける釣師のことを”アームチェア・フィッシャーマンという・・・」なんてことが書いてあります。
阿寒湖からはいい便りばかりが来るのに、今の私はまさにソファやベッドに沈み込んでアームチェア・フィッシャーマン状態になっています。 こんなときには開高健の釣行記が気分にあいます。
彼の豪快、爽快、快活、絢爛、シニカルな釣話の底にはいつもひりひりとした憂愁があって、それがまた大きな魅力になっています。
「オーパ」では、<マン・サイズ>(と彼は書いてますが、明らかに法螺です。)のドラドを釣ってアマゾンの釣行も終わり、帰途の空港ロビーの人ごみの中で、
「ふいに背後から滅形が襲いかかってきた。 肩を殴られたような衝撃があり、一瞬で私は崩れてしまった。・・・・帰国したら何が待っているか、私にはわかりすぎるくらいわかっている。」
と書きます。
私が標津の空港で、あるいは釣から帰る中央高速で味わった以上の「荒寥とした、いいようのない憂鬱」に彼もまた打ちのめされているわけで、ずいぶん辛い釣をしたいたんだなあ・・・と共感してしまいます。 (谷沢永一の「回想 開高健」を読めば、なおさら彼の辛い釣がわかります。)
よく、釣にのめりこんで会社を潰してしまった男や、奥さんに離婚されてしまったヤツの話を聞いたけど、経営する会社が倒産しそうだから釣に逃げ込み、離婚されそうだから釣に救いを求めていたんだと思いますね。
私の場合でも山奥の渓流でイワナやヤマメを追い、北海道の湖でアメマスやニジマスを狙っているときには仕事のことも、会社のことも、嫌な社長のことも完全に頭の中から消えていたものです。