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2009/08/10: "「傷跡」を「ショウセキ」と読む大臣が居て・・・"

Book0810 (46k image)
ドナルド・キーンの「日本人の質問」を読むと、改めて「日本人の日本知らず。」ということをつくづくと思い知らされます。
「踏襲」を「フシュウ」と読んだり、「未曾有」を「ミゾユウ」と言ったり、さらには「傷跡」を「ショウセキ」などと言ってしまったりする人が総理大臣なんだからしょうがない、と言えばしょうがないのかも知れないんだけど。 (それにしても、「フシュウ」だの「ショウセキ」だのって、どこを突付けば出てくる音なんでしょうね?)

ドナルド・キーンが会った多くの日本人が、「日本語はむずかしいでしょうね。」、「漢字は読めますか。」、「俳句はりかいできますか。」、「日本に来ていちばん驚いたのは何ですか。」、「刺身は食べられますか。」・・・なんてことを繰り返し尋ねるんだそうです。
この日本文学、日本学の大権威に対して、「あなたはまだ日本を理解していない。」と書き送った中学2年生が居て、親切にも日本を理解するために読むべき本まで教えてくれたそうだけど、日本人の多くは、子供から大人までが単に日本で生まれ育った日本人であると言うことだけで、自分たちは日本の全てを理解しているような錯覚に陥っているらしい。
同時に、全ての外国人は納豆も刺身も食えなくて、難しい日本語を話せず、漢字も読めず、手先は不器用で、日本人のような繊細で細やかな感覚を持ち合わせていない、と決めつけているふしがあります。 (私の父親は生粋の東北人なのですが、死ぬまで納豆も沢庵漬けも食えませんでしたね。)
昔からそうです。
私の義兄はアメリカ人のジャーナリストなんですが、日本の支局長をしていた頃に東京駅の駅員に新幹線の乗り場を日本語で尋ねたところ、その若い駅員は必死になって英語で教えようとしてくれたそうです。 しかし、義兄にはその英語がどうしても理解できないので、「私は英語がわからないんです。」と日本語で伝えました。 駅員さんは自分の頭の後ろを手で押さえて、「参ったなあ・・・。」ととても困っていたんだそうです。 義兄は「こちらが日本語で話してるのに。」と、かなり怒っていました。
アメリカ系の広告会社で働いていたころの上司は、早稲田の大学院で近世日本文学を専攻したアメリカ人でした。 日本語での会話はもちろんのこと漢字の読み書きも平均的な日本人よりははるかに上でした。(もっとも、「育ち盛りは食べ盛り」という広告コピーを見て、「育ちモリは食べモリって、どういう意味ですか?」などとコピーライターに質問してましたけど。)
そのアメリカ人上司と一緒に、ある大手商社の広報室を訪問したことがあります。 広報室長さんとの初対面の挨拶も、時候の挨拶も、世間話も日本語でしているのに、同席していた広報課長さんの会話は全て英語なんです。
話が終わって、その商社のビルを出るとすぐに、その外人さんは「私が日本語で話をしているのに、ほんとに失礼なヤツだ。」と日本語で怒ってました。
私がコンピュータ業界で働き始めた頃は、CAD/CAMなんてものがやっと使われ始めた時期なんですが、その当時の日本企業の設計、製造の現場では、「アメリカ人が発明したコンピュータなんかで、我々日本人の高度で繊細な技術に対応できる訳がない。」という反応が主流でした。 要するに、当時の日本企業にはコンピュータを使いこなすだけの高度な技術が無かったってことなんでしょうけど。

いつの頃からか、日本人は日本の文化のユニーク性や民族の能力などに関して、何の根拠も無く過剰な自信と自惚れを持ってしまっていて、いまだにそこから抜け出せずに居るような気がします。 自動車もテレビもコンピュータも日本製が一番だと信じて疑いません。 食品までが国産が最良、と思い込んでいます。 かなり高度な教育を受けたエリートたちでさえも、そんな風に刷り込まれてしまっています。
しかし、このいわれの無い変な自惚れから目が覚めて、冷静に自分たちの歴史と文化と社会と日本人とを見つめなおして再認識しないことには、これからの日本からは何も生まれて来ないような気がします。
もっとも、日常的な母国語も読めないような人を総理大臣にまでしちゃような国だもんねえ・・・。
ま、とにかくドナルド・キーンさんが四半世紀も前に書いた本をお読みになることですね。 読みやすいし、ゲラゲラと笑いながら読み飛ばす事だってできます