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2003/10/31: "畑仕事"
大井沢特産のひとつがカメムシです。 うるさく部屋の中を飛び回っています。
今の季節、つまめば臭いくらいで、特にこの虫による実害は無いのですが、それでも気になって見つけては外に追い出したり、テイッシューでつまんで捨てたりと、日に十数匹は追放したり、虐殺したりしています。
カメムシが大量発生する年の冬は大雪になる、と言われているのですが、今年はあまり気になるほどではないので、雪の少ない冬になりそうです。 実際、昨年もカメムシの発生は少なくて、雪も少なめでしたから。
妻の畑を手伝って、昨日今日と耕運機を動かしたり、唐鍬で畑を耕したりしていました。
明日は疲労で腕が上がらなくなりそうだし、明後日は筋肉痛でベッドから起き上がれなくなっているかもしれません。
手にマメが出来そうになったのですが、何とか寸前で踏みとどまりました。
唐鍬を数時間も振り回すような仕事をしたのは数十年ぶりです。 5回振っては休み、3回振っては休みの繰り返しで、夕方には気分が悪くなりそうでした。
妻は、連休を利用して東京から来る娘たちと一緒に、今日耕して肥料を入れた畑にアスパラガスの植え付けをするんだそうです。 収穫できるのは再来年の初夏。 その時は「売るほど」のアスパラガスが採れるはずです。
鍬を振り下ろしながら、色々なことを考えます。
自分の筋肉を使って自分たちが食べるものを作り、自分たちの生活を支える物を生産し、自分で加工し、自宅に貯蔵し、無くなるまで同じものを食べ続け、また次の年に同じことを繰り返し、何年も何年も、生きている限りそれを繰り返し・・・といった生活こそが、良し悪しとか好き嫌いを別にして、本来の人間の行為なのではないか、などと宮沢賢治風のことを思ってみたり。
一畝(ひとうね)終わるごとに、自分が過ごしてきたサラリーマン生活の達成感の無さを思い出したり。
堆肥の匂いをかぎながら、数字に追い回され、数字を追い回し続けてきたことの馬鹿らしさに思い至ったり・・・。
で、「実業家」の定義は「虚業家であること」に違いないと確信したり。
そう言えば、最近は「実業家」という言葉をほとんど聞かなくなりましたね。 代わりに「経営者」だったり、「経済人」だったり、「起業家」だったりするんですが、とても虚業的ニュアンスが出ていて、的確だけど声に出しては使いたくない日本語のような気がします。
「ビジネス・エリート」なんて、まるで詐欺師的な響きで、かなりいい感じです。 これは声に出して使いたい言葉のひとつです。
たまの農作業もいいものです。 明日は生ハム作りに取り掛かります。 今日届いたサンマは、刺身で食べた残りを味醂干しにして冷凍保存します。 鹿肉の燻製も良さそうです。 冬ごもりの準備は万全(かな?)。
忠昭さんにナラタケをいただいたので、パスタのソースにしてみようか、などと思っています。