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2006/02/16: "LOHASなSlow Life???"
狸の凍死に涙しながら兎汁を食っていたら、藤本さんからマガモ(雌)が届いて大喜びです。
大井沢に居て北海道のジビエ・・・さて、こんな私の暮らしはLOHASなんだろうか? Slow Lifeなんだろうか?などと悩んだりもします。
贅沢な暮らしではありますね。
結果としてはLOHASっぽくて、Slow Life的な生活になってしまっているかも知れないけど、それを目標にしている訳でもないし、日常的には何も考えてないなあ。
ただ、世界一便利な場所じゃないかと思えるような所に40年近くも住んでいると、何とはなしに「こんなに便利な生活を続けていてもいいものだろうか?」という反省のようなものが生まれたり、その便利すぎる生活に飽き飽きしたりもします。 もう少し不便な生活をした方がいいんじゃないだろうか・・・などと思い始めたりもする訳です。
ま、東北の山間の過疎地での暮らしも、車もあるし、インターネットや宅急便も行き渡っていて他人が思うほどには不便じゃないんですが、情報に対する飢餓感のようなものはどうすることも出来ません。
インターネットやテレビ、新聞などのマスメディアから入ってくる情報は東京や大阪などの大都会と変わりが無いのでしょうが、生身の人間を通じて入ってくる情報がここではほぼ皆無です。
今更、最新の情報や知識を得たからと言って何の役に立つ訳でもないのに、それでもその手のものに対する未練や執着が消えません。 友人や知人たちと、普通の日本語で普通の会話をしたくなることがしょっちゅうです。
雪や風や木や森や熊狩や兎狩や山菜や茸や背負いきれないほど取れた舞茸やあっという間に釣れた100匹の岩魚や山葡萄やダムのスリット工事で流れ出す土砂の話ではなく、麻布十番の<あべちゃん>や新宿二丁目の<Sockeye>や六本木5丁目の<Bronx>で話していたようなことを話したくなります。
便利過ぎる生活はある意味では罪悪かも知れないけれど、便利さを否定するのも変な話で、ましてやその否定が極端に走っての仙人のような生活も滑稽で・・・。(昼食のビビンバが出来たそうなので・・・。)
(ゼンマイの代わりに干したアカコゴミを使った妻のビビンバは大変結構でございました。 六本木でお隣だった李さん譲りの味なんだと思います。 我が家の白菜のキムチもいい出来です。)
で、まあ、何が言いたいかといえば、LOHASもSlow LifeもSlow Foodも何のことか良くは理解できないんですが、もう少し不便な生活をして、曲がったキュウリや形の悪いリンゴも食べて、鰯や秋刀魚を刺身で食うなんてことはちょっと我慢して、少し寒いけど薪ストーブで間伐材を焚きながらセーターを1枚余計に着るような生活をした方がいいんだろうなあ・・・とは思っている訳です。
最近は、「もったいない」なる言葉がもてはやされているそうだけど、便利で贅沢な暮らしに対して少し後ろめたさを感じながら生きましょうよってことなんでしょうね。
とは言いながらも、クール宅急便は大好きです。 鴨まで届くんですから。
そうそう、LOHASっぽく、Slow Lifeっぽく、そして田舎暮らしを気取って生活するには、自分で兎の皮がむけて、自分で鴨の処理が出来なくては格好がつきません。