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2007/03/06: "コゲラ、カルガモ、そして分からない「千の風になって」"
テラスの前の柳の木をつつきに来たコゲラ。
このごろは至るところでコゲラの声を聞きます。 数日前にはイカルチドリの声も聞きました。 セグロセキレイがしきりに飛び回っています。
家の前の小さな池が波立っていて、何かが来ているよう様子なのでテラスに出てみたら2羽のカルガモが飛び立ちました。
天気予報では、日本海側や北日本は大荒れのはずなのに朝から風も無く冷たい雨が降り続いています。
(昼近くなって雪に変わりました。)
NHKは昨年暮れの<紅白>で馬鹿ウケした「千の風になって」が嬉しくてしょうがないらしく、いろいろな番組でこの歌の特集を組んでいます。 「今や社会現象になってる。」なんてことまで言うじゃありませんか。
元の歌詞は英語だそうで、新井満氏が日本語に訳して曲をつけたとのこと。
この曲を聴かされると、私はひどく居心地が悪くなります。
「私のお墓の前で 泣かないでください。 私はそこになんか居ません。・・・千の風になって あの大空を吹き渡っています。」って、じゃあ<私>はどこに居るんだろう?
「あの大空を」と言っているところを見ると、私はどうやら大空とは違うところに居るらしい。 でも、今も「吹き渡って」はいるらしいから大空にも居るようにもとれます。
お墓には居ないそうだし・・・。
死んじゃった人だから、色んなとこをうろついてるんだろうとは思うけど、こちらに向って語りかけてきている今、この時はどこに居て、どこから話し掛けてきているのか、気になります。
丸谷才一氏の<文章読本>によれば、「文章の最も基本的な機能は伝達である。」とのこと。 歌詞だって言葉であり、何かを伝えようとしている以上は論理を無視しても良い訳は無くて、小説家でもある新井満氏の「千の風になって」はかなり質の悪い詩ということになりそうです。 少なくとも語りかけてきている主体の居場所くらいは推定できるようにしてもらわないと、どうにも落ち着きません。 お涙ちょうだい風に感情を刺激しながらも、すっきりと意味の通った詩を書くくらいの事は芥川賞をもらったほどの名文家でしたらほんの朝飯前でしょうに、なんだか3流シンガーソングライターの詩みたいになっちゃってます。
「千の風」になってるそうだから、その分身の一つくらいはこちらの隣りに立って話し掛けてきてるってことかな。
ちなみに、元になった英語の詩には「あの大空」という表現は無いらしい。