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2007/11/15: "静寂を忘れる静寂と印象としての静寂と"
間断無く高速道路を走る車の音、引っ切り無しに通り過ぎるパトカー、消防車、救急車のサイレンの音・・・都会が作り出すあらゆる騒音の真っ只中に40年も住んでいるとその騒音も騒音とは聞こえず、日常生活の一部にさえなってしまいます。
大井沢で聞こえるのは川の流れの音、吹き過ぎる風や枝を離れて落ちる枯葉の音、沢の水音、野鳥の声、雨の音・・・人工的な音は全くと言ってもいいほど聞こえて来ず、ふと、これは静寂と呼ばれる種類の世界ではないか、と思いつきます。 人間は戦場の音にさえも慣れてしまうと聞きましたが、逆に静かさにも慣れてしまうとその静かさを意識しなくなります。
今朝6時半、枯葉が落ちる音を聞きながら、別にその静寂を意識もせずに歩いていると突然飼い犬が猛烈な勢いで藪に飛び込みました。 見れば、大きな灰色のカモシカが林の中を全速力で走っています。
必死に走るカモシカの足音、激しい息づかい、潅木の小枝が折れる音・・・そのすぐ後ろをこれも全速力で追いかける犬の姿が木々の間に見え隠れします。
林の中を高速で移動する激しい音が私の居る林道まで響いて来ているのに、まるで無声映画か音を消したテレビでも見ているかのように静かで幻想的とも言えるような10数秒でした。 我が家の犬も全く声を発しません。
人工的な騒音に慣れた耳には、自然が発する激しい音も音とは聞こえないのかも知れません。 あの芭蕉でさえ、うるさく鳴き盛るセミの声を聞いて、「静かさや岩に染み入るセミの声」なんてことを言ってるんですから。 印象としての静寂なんでしょう。
(もちろん、野生の動物を深追いさせ過ぎるのも危険なので、すぐに犬を呼び戻しました。 カモシカを追い回すのも犬にとっては単なる遊びのようで、あっさりと引き返してきました。 特別天然記念物を虐待している、と言ったような罪の意識は全く無い様子なので懇々と言い聞かせたのですが、納得したかどうか・・・。)