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2004/06/01: "栃の花"
栃の木がロウソクを立てたように花をつけています。 藤の花も盛りです。
桜田門の警視庁本社ビル・・・警視庁に本社は無いですね。 で、桜田門の警視庁と東京地裁に挟まれた桜田通に栃の並木があって、秋になると歩道に沢山の栃の実が落ちていたのを思い出します。
あの並木の栃は巨木ばかりで、今でも実をつけるんでしょうか?
もし健在なら、東京の娘たちに実を集めてもらって、大井沢で売ろうか・・・などと思ったりもします。 お堀端の栃の実で大井沢の人たちが栃餅を作って食べるなんて、ちょっといい感じもするんですが、売れませんかね。
それはそれとして、昨日、床いっぱいに散乱していた本や釣り道具、衣類などを片付けながら思ったことがあります。
子供のころ、新聞、本、雑誌などを床に放置して置いたりすると、親からこっぴどく叱られたものです。 新聞や本などの印刷物はどうやら「神聖なもの」だったらしく、粗雑な扱いをしてはいけない雰囲気がありました。 またいで通っても叱られました。
それが、今では何の抵抗もなくかなり高価な本でも床に放り出しています。 親から厳しく躾られた習慣なんてとうの昔に雨散霧消です。
いつからこうなってしまったのか思い出せないのですが、若いころに働いていたアメリカ系の広告会社で身についた悪癖のような気がします。
アメリカ人やイギリス人が沢山働いている会社だったんですが、彼らは平気で資料や企画書はもちろんのこと、プレゼン用のカンプまで床に積み上げているんです。 要するに、机や書棚がいっぱいで、置き場に困って床に置いただけなんでしょうけど、それが何とはなしにアメリカっぽくて、カッコ良く見えたものです。
アメリカの会社のオフィスって、床にカーペットが敷かれていたり、管理職になると個室がもらえたり、一般社員でも仕切られた個人のスペースがあったりして、床に物を置きやすかったのかも知れません。
また、ヨーロッパ人はどうか知りませんがアメリカ人の場合は床に対する「差別感」があまり無いような気もします。
あれは履物に対する感覚の違いなんでしょうね。 私なんざ、下駄の裏とか靴の底なんてのはかなり汚いと感じるんですが、彼らは靴そのものをそれほど汚く感じていないのではないでしょうか。 外を歩いてきた靴で家の中を歩き回り、時にはその靴を履いたままの足をテーブルの上に乗せたり、疲れたときには靴も脱がずにベッドに寝転んだりもします。
私の場合は、広告会社の後もアメリカ系の会社でばかり働いてきたものですから、いつの間にか物を置く場としてのテーブル、ソファ、椅子、床の区別がつかなくなってしまったようです。 さすがに、皿と床の区別は今でもつきますが、それも少し怪しくなっていて、食いかけのサンドイッチやおにぎりでしたら、ちょっと床に置いてしまったりする可能性はあります。
床に散乱していた諸々を片付けたら部屋がすっかり広くなって、かなりいい気分です。 でも、またすぐに元の木阿弥になることでしょう。 床に何かを置くことに何の抵抗も無いんですから・・・と言うよりは、単にだらしが無くて、面倒くさがりなだけです。 歩くときに邪魔だとは感じているんですが。