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2005/06/04: "鴛(おしどり)"
今朝は珍しく7時前の朝食です。 パンを齧りながら外に目をやると、田植えが終わったばかりの修平さんの田んぼに鴛が降りました。 しきりに何かをついばんでいます。 彼らの朝食の好みは分かりませんが、この時期の田んぼにはどんな餌があるんでしょう? 嘴細烏も一緒に食事をしています。
<鴛鴦の契り>という表現があるけど、あれは誤解に基づいた例えだと聞いたことがあります。 鴛のオスは結構浮気ものだと言うんです。 それを聞いて、「へえ、鴛のオスもやっぱりオスなんだ。」と変に納得したんですが、真相は分かりません。
ラフカディオ・ハーンの短編に若い夫婦の悲劇を書いた<おしどり>という小説があって、子供の頃に読んだ記憶があるのですがストーリーを全く思い出せません。 最後には夫婦で鴛になってしまうというような話だったんじゃないかと思います。 悲劇じゃなくって、単なる寓話だったかも知れません。 ふと読み返したくなりました。
昨日、家の前に積み上げてある牛糞を妻の畑までリアカーで運ぶ作業をしていたら、典型的な<柔和な表情>の男性が近づいて来て、「本をお読みになる機会など無いでしょうけど・・・。」などと勝手に決め付けながら使い込んだ皮の鞄から本を取り出します。 彼の思考回路には「大井沢=過疎地=本など読まない」という論理が埋め込まれてるんでしょうね。
「信仰のご紹介とかそんなことではないのですが。」と差し出す本の表紙には天使や弟子たちに囲まれて空を仰いでいるキリストの絵が載っています。 (じゃあ、どんなことなんだよ!)などと心の中で突っ込みながらも、その手の本は「お読みになる機会」など全く無かったので、パラパラとめくって見ました。 キリスト様のありがたいお言葉やお教えの羅列で少しも興味がわきません。
どうしてあの人たちは全員が同じように人を見下したようなひどく優しげで、「悪意なんて微塵もありません。」てな表情なんだろう? どうしてあの人たちが持ってくる本はあんなにも人を小馬鹿にしたような間抜けな内容なんだろう?
「興味ありませんね。」と本をお返ししたら、「無料でございますから。」とのこと。 そういう問題じゃないんだけど・・・。