[前の記事: "テラスの下の百合"] [新着記事一覧に戻る] [次の記事: "Killing Field"]
2006/09/05: "日照りというほどではないけど・・・"
「日照りの夏はおろおろ歩き・・・」かと思っていたら、「日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き・・・」だったんですね。 そんな私の記憶違いはどうでもいいことなんですが、日照りというほどではないにしても、ほとんと雨が降らず寒河江川も水量が減っています。
寒河江川の流れに反射する西日も、なんとはなしに雨の少なさを思わせるから不思議です。
それにしても、大井沢は沢が多く、水の豊富な所です。
どこを歩いていても沢の流れの音が聞こえてきます。 義昭さんによれば、「大井沢の地名は、大朝日岳から大井沢を見た弘法大師が<おお、いい沢だ!>と言ったことに由来する」んだそうだけど、どうもガセっぽくて信じられません。
エライ坊さんが何と言ったかは別にしても、ここの沢は水量が豊富で、しかも水が冷たく極めてきれいです。 とてもいい沢ばかりです。 昔は岩魚が群れていて、100でも200でも、好きなだけ釣れたもんだ、と言う古老たちの話もうなずけます。
水量も水の冷たさも、魚の餌になる水生昆虫も極めて豊富で昔に変わらないと思えるのに、「昔は・・・」と魚の話はいつも過去形です。 日本中、どこに行っても「昔は・・・。」という話ばかり聞かされます。 今の日本人よりも、昔の人たちの方がずっと沢山の川魚を消費していたはずなのに、どうしてこんなにも川の魚が減ってしまったのか、理由が良く分かりません。 昔以上に釣り人が増えたとも思えないし、昔の人たちの方が老人から子供まで、誰もが目の色を変えて川や池の魚を追い回していたような気がするし・・・。
都市近郊の農村部が開発し尽くされ、魚の住める環境が無くなり、近くの川や池で目の色を変えて魚を追い回していた人たちが目の色を変えて大井沢のようなところに集中するようになってしまったせいなんだろうか、とも思ったりもします。
東京の人たちは群馬や栃木に押し寄せ、群馬や栃木の人たちは新潟や福島に押し出され、福島や新潟の人たちは山形や秋田へ遠征すると言ったドミノ倒し現象でも起きているような感じもします。 言ってみれば、大井沢などは最後の一枚ってことになるんでしょう。 大井沢だって、すでに倒れちゃってるようなもんですけどね。