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2006/09/28: "つくづく広告は写真が命だと思う広告"
今日の吉野家の新聞広告を見て、つくづく広告写真の果たす役割の大きさを感じましたね。
しばらくぶりに心地よさを感じた広告です。 その心地よさは、やはりこの写真にあると思います。 まだ今朝の新聞広告を見ていない方は、是非とも実物をご参照下さい。
最近、コマーシャル写真をやっている連中は「仕事が無い。」などと言ってふてくされているけど、もっと自信を持つべきだと思うよ。 クリエイティブディレクターの皆さんもCGばかりに頼らないで、写真が持つ力を見直すべきだと思うなあ。
この広告、写真が実にいいですね。
吉野家の雰囲気のいいところだけを引き出しています。 実際の店に漂ううらぶれた貧乏ったらしさを、庶民的で親しみやすい暖かさに置き換えてしまっています。 吉野家の牛丼が旨そうにさえ思えてきます。
この広告ではボディコピーなど不要です。 邪魔なくらいです。 この写真と「吉野家牛丼祭 10月1日〜5日 並盛380円 大盛480円」だけで十分にメッセージが伝わってきます。 多分、広告を作っている側も、その点は十分承知の上で作っているのでしょうが、見事な広告だと思います。
ちなみに私は吉野家の牛丼を2、3度食ったことがあります。 その都度、「何を好き好んでこんな猫の餌みたいなものを食わなきゃならないんだろう。」と、とても惨めな気分になりました。 立ち食い蕎麦も惨めだけど、椅子に座ってカウンターで食うだけ惨め度は高いような気もしますね。
昔、ロータスと言う今は亡きソフトウェア会社のエンジニアが、女の子を六本木での夕食に誘ったことあります。 で、女の子を連れて行ったのが゙六本木通りに面した吉野家だったと言うんです。 しかも、「何でも好きなものを注文していいよ。」と、大変な太っ腹ぶりを見せちゃったんですね。
翌日、当の女子社員は理不尽にもすっかり腹を立てていて、同僚にその話をしたものですから、たちまち全社中に知れ渡り、気の毒にも牛丼を奢った太っ腹なエンジニアは物笑いの種になってしまいました。
白状しますが、私もその話を聞いて大笑いをしました。
<六本木での夕食>と<六本木吉牛での夕飯>との間には、イメージ的にはかなり大きなギャップが有ったんでしょうね。 「新橋辺りで飯でも食わない?」と誘って、新橋駅の立ち食い蕎麦を奢るようなものかなあ・・・。