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2002/10/20: "大井沢峠"
大井沢公民館主催の「大井沢峠を歩く会」に地区の子供たちに混じって参加して来ました。
小雨の中を約1時間半ほどで頂上に着きましたが途中は急な登りが続き、気温12℃というのに結構汗をかきます。 峠を越えて向こう側に出る行程のほうがはるかに長いとのことですが、今回は頂上から引き返して来ました。 この峠は昭和の初期、1930年代までは大江から寒河江に抜けるメインルートとして実際に利用され、冬季には遭難者も出たそうです。 遭難者の多くは峠を越えて集落が見えるところまで降りて来た辺りで凍死していたとのことです。 深い雪の中を必死に峠越えをし、集落の灯りが見えるところまでたどりつき、ほっとして一休みしたまま眠ってしまったのではないかとのことです。
昔は病人が出ると、背負ったりソリに乗せたりしてこの峠道を寒河江まで運んだのだそうです。 大江町も方から嫁入りしてくる時は大井沢に着くのが明け方の3時ころになり、それから披露宴ということまであったそうです。
晴れた日にでも再度挑戦したくなるような気持ちのいい道でしたが、昔の生活を実際に体験した人たちにとっては「2度と通りたくない」峠のようです。
頂上付近は見事なブナ林になっていて、細い峠道にも沢山のブナグルミが落ちていました。 キノコも点々と生えているのですがどれも食用かどうかの区別がつきません。 一緒に歩いている人たちに尋ねても、「大井沢では食わね。」という答えばかりでした。
それでもザラナメコ(ヌメリスギタケ)とブナハリタケをほんの少しだけ採ることができました。 夕方に福島から着く予定の姉と兄に見せようと思います。
頂上の切り通しには既にブルーの大きなターフが張られていて、その下では先行した大人たちが3つの大きな鍋で里芋とキノコの煮物(芋ころ煮?)を作っていました。 1時間半の急登が帳消しになるほどの旨さでしたが、どんぶり2杯が限度でした。 それにしても、いつも驚くのは子供のためのイベントに対して実に多くの大人たちが関わっていることです。 今日も子供の人数の倍ほどの大人たちが参加したり、芋煮の準備をしたり、途中の案内をしたりしていました。
私や妻と娘はただ子供たちと歩いてキノコ汁を腹いっぱいご馳走になって帰ってきただけなので、なんだかとても申し訳ない気持ちになってしまいました。