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2005/07/22: "実のひとつだに・・・我が家のアケビ"
春には花が咲き、蔓は元気そのもの、茂り放題に茂っているのにひとつも実が付いていません。
太田道灌が通りかかったら根元から切って渡しちゃいます。
山形に来て、何度かアケビの果皮を使った料理をご馳走になりました。
私は、果皮の苦味と中途半端にフルーティな香り、中に詰めてある味噌の甘さ、油で焼いた食感などがどうも苦手です。
あれは山形特有の料理なのか、他の地域にもアケビの果皮を使った料理があるのかどうか分かりませんが、わざわざ舞茸などの高級(?)素材を詰めたりするところから推測すれば、ちょっと手の込んだご馳走のようです。
子供の頃、山から採ってきたアケビを見て、親たちが「料理をすれば皮も食べられるよ。」と教えくれたのを覚えているのですが、少なくとも我が家では一度も食卓に上った事はありませんでした。 それに、子供心にも「こんなものが旨いはずが無い。」と思い込んでいたような気がします。 既に果皮の苦味は知っていました。
大井沢の宿に泊まって、初めてこの料理を出されたときも、既にそれを知っているような気がしていたのですが実際に口にするのは最初だったと思います。 もしかしたら1度くらいはどこかで体験していたのかも知れません。 どうもその辺の記憶ははっきりしないのですが、出てきたものが何の料理かはすぐに分かりましたし、味や食感も知っているような気がしていました。
子供の頃の知識と本などで読んだことが入り混じっての勘違いだったようにも思います。 私が育った地方でも、東京でもアケビの果皮を調理して食べるなどと言うことは有り得ませんでしたし、そんな料理を出すような店にも行ったこともありません。
などと言っているうちに、アケビの存在そのもが曖昧模糊としてよく理解できなくなってきます。 果物としては単に食べにくいだけで美味しくも何ともないし、料理の素材としても一般的とは言えないし、それにしては良く知られているし、どこにでも在るし、果物屋でも売っていたりするし、でも果物としてのアケビが好きだという人なんて会ったこともないし・・・。
単に秋を演出するためだけに存在する果実なのかも知れない、などと思ったりもします。 実際、ちょっと気取った飲み屋などへ行くと、秋にはカウンターの籠にザクロや柿などと一緒にアケビが盛られていたりします。
で、そんな店では中身を捨てたアケビの果皮を器に、コノワタやイカの塩辛などをちょびっと出してきたりします。 出された方は、「へえ、洒落てるね。」などと言いながらも、少しも嬉しくなかったりします。 コノワタがあまりにも少なくて。
そうか、アケビはコノワタの量を誤魔化すための器だったんだ。