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2002/12/04: "実存としての「塩味」"
最近はまた哲学が復活しているらしいけど、料理をしながらふと思うのは、塩は調味料ではなくて主食なのではないか、などということなんです。
でもって、調味料としての塩の存在を考えると、どうやらハイデッガーやサルトルの世界に入っちゃうんですね。
(あ、フランス人はハイデッガーを「イデジェー」って呼ぶらしいですね。 ホントかな?)
で、料理を作りながら思うことは「なんでこんなに塩加減にこだわるのか」ということなんですね。
私の場合は特に「しょっぱい」ものが好きなものですから、なおさらそんなことを思うのかも知れません。 塩辛類、塩鮭、味噌漬、醤油漬、干物、漬物・・・とにかく塩味の強いものが大好きです。
よく「調味料を抑えて素材の味を生かす。」なんてことを言いますけど、「素材の味」を本当に生かすんだったら調味料なんて使わない方がよっぽど生きるんじゃないかと思う訳です。
私個人の場合は、どうやら食材の風味が付いた「塩味」を楽しんでいるようなんですね。
特に塩辛類はそうで、自分で作った鰹の酒盗、烏賊の塩辛なんてのは鰹の内臓や烏賊の風味を効かせた「塩味」を楽しんでいることに間違いは無さそうです。 焼くと塩が白く吹き出てくるような塩鮭も好物なんですが、これも「鮭風味」の塩でご飯を食べるいるように思えてなりません。
塩味のボケた京料理やフランス、イタリア、中国料理を想像できますか?
「塩分控えめ」などという宣伝文句もありますが、塩分を抑えて訳のわからない調味料を大量に使った食品を飽食するよりは、塩味がしっかりと効いた料理をきちんと食べる方がよほど「正しい」食事のようなきがします。
(昔、高血圧で塩分を控えるように医者から忠告された近所のオバさんが、毎朝、薄味の味噌汁を一鍋も飲んでいました。 結局、高血圧が原因で死んじゃったんですが。)
とにかく、食事のための料理と言えば塩味ですよね。 なぜ夕飯のオードブルがアップルパイでメインデイッシュがチーズケーキなんてのはあり得ないんだろう? サラダがフルーツカクテルで、スープはホットチョコレートだっていいはずなのに、それらは食事としては成り立たないんですね。
などと考えていると、やはり「人間の主食は塩」なんじゃないかなどと思ってしまうわけです。
炊きたてのご飯をおにぎりにして塩をまぶし、塩鮭を具にして海苔で包むのだって、「ご飯味の塩」を食べてるような気がしてなりません。
梅干は梅風味の塩、醤油や味噌は麹や豆、麦などの風味を付けた塩、ステーキは牛肉とバターとコショウ、ニンニクの風味を効かせた塩、カレーはカレー風味の塩、チーズは醗酵した乳製品風味の塩といった具合に「塩」をおいしくするために色々な食材を利用しているんじゃないの?などと考えるのもあながち変じゃないでしょ?(日本製のベーコンやソーセージがまずいのは塩が主役になってないからですね。)
先日、我が家に来た実兄が、「お前は人間としての生き方をどう思ってるんだ?」などという馬鹿げた質問をして私を驚かせましたが、 そんな質問は塩むすびを食いながら「塩味のおむすびを食っているのか、それともご飯味の塩を食っているのか・・・」と悩むよりもはるかにナンセンスだと思うわけです。
なんだか、対岸に姿を見せるカモシカとなら話が合うような気がしてきました。