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2005/10/15: "釣に関する個人的な諸々のこと"

DSC04037 (83k image)

朝からの雨で外にも出られず、忠類川で使ってそのままになっていたタックル類の整理をしています。
7、8年も使っていたT-300ラインが傷だらけなので、新しいものを手に入れようと渋谷のサンスイを訪れたら、既にサンスイでは扱っていないとのこと。 コートランドか3Mのシンクチップ・ラインを勧められましたが、Teenyで十分に満足しているので、買わずに帰ってきました。 横井さんや樋口さんのように、Internetの通販でアメリカから取り寄せることにします。

私が本格的に釣りを始めたのは、30歳になってからでした。
それまでは、山登りにはまっていました。 今から思えば不思議なことなのですが、登山は何とはなしにカッコ良くて、単独行にはちょっとしたヒロイズムなどが有ったりして、山の頂上に立つというよりは「登山に行くこと」の方が重要だったような気ガします。

30歳に近づいた頃から、重い荷物を背負って登る山に、あまり魅力を感じなくなっていました。 体力的にも辛くなっていました。
ちょうどその頃、山仲間の何人かから渓流の釣に誘われ、それがきっかけで本格的な渓流釣を始めることになりました。
最初のヤマメを釣るまでに1年もかかりました。 そのころは、餌釣だったのですが、水の流れも読めず、魚の居るポイントの見極めも出来ず、魚の習性も全く理解していませんでした。
最初の1匹は、谷川岳近くの湯檜曽川支流でした。 28cmの見事なヤマメでした。 最初は何が起きているのかさえも分かりませんでしたが、対岸に居た友人に「魚だよ!」と声をかけられて、やっとそれが魚の感触だということを実感しました。 その1匹がきっかけで、その日は20匹以上のヤマメが連れました。
不思議なものです。 それ以来、あれほど連れなかった魚が釣れるようになり、釣れる場所が何とはなしに分かるような気分になしました。
初期の頃のフィールドは湯檜曽川や谷川岳周辺の渓流が中心でした。 その後は新潟県の苗場周辺や佐渡に通うようになり、岩魚釣ばかりをしていました。 佐渡では、0.8号のハリスで50cmほどのサクラマスを釣ったこともあります。

釣そのものよりは、釣に行くための準備や釣り場に着くまでのプロセスが好きでした。 今になってもその傾向は変わりません。
私は釣に救われて、あるいは釣に救いを求めて30代、40代を生きてきたような気がします。 そういう意味では、まさに "Fishing Through the Midlife Crisis" です。

私をフライ・フィッシングに誘ってくれたのは、眞柄さんと熊井さんの二人です。
二人に誘われて、初めて鹿留へ行ったときのことは忘れようがありません。 タックルを眞柄さんに借りてやった管理釣り場での釣りは、屈辱的な結果に終わりました。 あの鹿留で、なんとゼロだったんです。
あまりの理不尽さに納得が行かず、すぐに渋谷のサンスイに駆け込んでOrvisのYamame SpecialとCFO1.2.3を買ってしまいました。 当時のロッドやリールの値段は、現在の2倍に近かったと記憶しています。
どういう訳か、そのこと以来、餌釣からはすっかり遠ざかってしまいました。 この10数年、餌釣りは全くしていません。
なぜフライフィッシングなのか・・・。 どうも良く分かりません。
テクニック、毛ばり、ロッド、リール、ライン、衣類、小物類、魚、仲間、友人、フィールド、旅行、書籍、文学・・・この多様な魅力のおかげで、いまだに飽きもせずにフライフィッシングを続けているのかもしれません。