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2005/10/29: "釣に関する個人的な諸々のこと(6)"
釣が好きな人間は気が短いとか、けちだとか、色好みだとか・・・色々な事が言われているけれど、別に釣が嫌いでも短気でけちで女好きな人間はいくらでも居る訳で、特に釣り好きを定義する特徴のようにも思えません。
ただ、<気が短い>という特徴は当てはまるような気もします。
私も、若い頃の釣りでは焦りまくっていました。
目的の釣り場に向かって高速道路を走っていても、周囲の車全てが私と同じ目的地に向かっているような疑心にとらわれるし、彼らに追い越されては遅れをとるような気持ちに追い立てられるし、自分が狙っている沢を取られそうで心配になるし、目的地についても、誰かに先を越されそうでウェイダーを身に付けるのももどかしいし、既に誰かが先行しているのではないかとイライラするし・・・。
無事、誰も居ない川に入ることが出来ても、常に心の中は煮えくり返っています。
釣れないのは、誰かに釣られてしまった後だからではないか・・・フライが違っているかも知れない・・・ハリスが太すぎるんだろうか・・・フライを変えるべきではないか・・・ティペットをもっと細くすべきじゃないか・・・しかし、糸を結びなおし、フライを交換している時間も勿体ないし・・・本当は今のフライで当たりかも知れないし・・・向こうのポイントでは大物が来そうだし・・・ってな具合で、目の前のポイントにフライを流しながらも、片目でフライを追い、もう一方の目では次のポイントを探し、対岸に渡れる場所を探し、左手でラインのふけを取りながらも右手に来るであろう魚の感触を待ち続けます。 3分と同じ場所には居られません。 魚が釣れても釣れなくても、次のポイントに移りたくてウズウズしています。
中禅寺湖や芦ノ湖で、シンキングラインをゆっくり、ゆっくりと引いている場合でも、心の中では「今来るか、今来るか・・・。」と、虹鱒の「ガツン」と来る当たりを待って、ジリジリしているんです。
我が家の居間から、向かいの川で釣をしているフライフィッシャーを見て、「なんて気ぜわしい人なんだろう。」と言った人が居ます。 フライフィッシングだけではなく、川での釣りはどれもが気ぜわしく見えるものです。
「でも、釣りってノンビリ、のどかなものじゃないんですか?」とも言います。
うららかな春の日差しの中でヘラブナ釣をしている人たちだって、一瞬たりともウキから目が離せず、風にゆれるウキに思わず合わせそうになったりして、心中ただならぬものが駆け巡っているはずです。
太公望なんて、<のどか>の代名詞みたいに思い込んでいる人も多いんでしょうが、彼が本当に釣をしていたのなら、心中は我々と変わらなかったはずですし、もし、釣をしながら天下国家に思いを巡らしていたとすれば、釣りのことなんてどうでもよかったんでしょう。
ま、そんな訳で、会社の上司が釣り好きだったりしたら、部下の皆さんはそのつもりで付き合うべきです。 釣りの好きな上司は、いつも部下の長い報告をさえぎって、「で、結論は?」などと言うはずです。