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2008/05/22: "清貧の夕飯"
庭で採れたウコギのご飯、標津の塩鮭、私の実家から来た夏大根の大根おろし、散歩の途中に採ってきてヨブスマソウのおひたし・・・ってな食事をしていると、なんだかすごく自分が清貧っぽくていい人になったような気分です。
頭の中は勿論、生活だって清貧などという言葉とは全く逆の所に居る訳ですが、それはそれとして、ウコギに対する山形、特に米沢辺りの人たちの愛着は何か特別なものがあるような、そんな雰囲気ですね。
昔、米沢藩の名君上杉鷹山が奨励して家々の垣根に植えさせたって言うんです。 で、この上杉鷹山って藩主がなぜかとても人気のある人なんです。
そのせいなんでしょうか、山形あるいは米沢辺りの人たちは垣根に植えたウコギの芽を摘んで食べるのは山形県人だけみたいに思い込んでいるふしがあります。
私は福島県の郡山市の出身なんですが、あの辺の農村でもごく普通に家の周りや畑の境などにウコギを垣根状に植えていて、春になるとその新芽を頻繁に食べていました。 若くて柔らかな葉をおひたしにしたり、炊き上がったばかりのご飯に混ぜて香りを楽しんだり、少し延びた芽は茹でて胡麻和えにしたりと、普通に食卓に乗っていたような記憶が残っています。 我が家では、どういう訳かウコギ摘みは子供の仕事で、大人は決して手を出しませんでした。 食べるのは好きだったのですが、摘むのはトゲがチクチクするので大嫌いでした。 その上、8人も9人もの大家族が食べる量を摘まなければならなかったので、いつもうんざりしていましたね。 今になって考えてみると、昔の大人は細かくて嫌な仕事はいつも子供たちに押し付けていたような気がします。
大きな笊に3分の1ほど摘んで母親に見せると、必ずその倍は摘めと厳命が下っていました。 そんな母を鬼だと思ってました。
そのせいでもないんですが、今でもウコギ摘みは嫌いで、食べるのは大好きです。
我が家のウコギは郡山の実家から持ってきたもので、子供の頃に若芽を摘んで食べた木の子孫です。