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2006/05/11: "ハンゴンソウ、タラの芽"
二掛で見つけた今年初めてのハンゴンソウ、そしてたった2個の小さなタラの芽です。
ハンゴンソウは大井沢に来て初めて知ったのですが、意外に美味しい山菜です。 今夜の天ぷらにはこのくらいの量がちょうどです。 タラの芽はもう少し欲しいですね。
茸も同様ですが、山菜も少量ずつ、シーズンに1、2度が適量です。
大量に、しかも毎日のように・・・という状態は地獄です。 どんな山海の珍味でも程度と言うものがありますね。
大井沢に越してきた最初の春はフキノトウもコゴミもミズも、ワラビやヨブスマソウや山ウドも、どれもこれもが嬉しくて、採るのが楽しくて、塩漬けや冷凍で保存するのもまた楽しみで、結局は食べきれずに終わりました。
翌年からは採る量も、保存する量もセーブしています。
どなたかに差し上げようと思っても、好きか嫌いかも分からないし、調理方法を知っているかどうかも食べてもらえるものかどうかも気になるし・・・で、人にあげる分までは考えないことにしています。
そう言えば、「山菜はアクがあるから嫌いだ、なんてことを言うヤツは山菜を食う資格がねえ!」と息巻いていた方が居ます。 確かに山菜の多くには独特の香りや苦味が有って、それが山菜の特長でもあり欠点でもあるんですが、資格云々は別にしても好き嫌いは仕方の無いことです。 山菜なんて、食わなくたって困るもんじゃないものですから。
山菜を食ってもらわなきゃ困るのは山菜を採ったり、栽培したりして、それを生活の糧にしている人たちの方です。 そう言う意味では、アクや癖の無い山菜を日常的に食ってもらえればそれが一番なんでしょうが、そうなってくると今度は流通や量の確保の問題が出て来そうです。
ま、室内で栽培され、安定供給ができるようになった舞茸やタラの芽は既にアクも癖も香りまでもが抜けてしまって、とても「食べやすい」食材になっているようですけどね。
(栽培された山菜を<山菜>と呼ぶべきかどうかとても疑問に思っています。 品種改良されたタラの芽や行者ニンニクなどは既に<野菜>ですよね。 <山菜>は、やはり野山に自生しているからこそ山菜なんじゃないかなあ・・・。)