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2006/07/25: "明治政府とタリバンの類似点"
月山、湯殿山が全容を見せるのはしばらくぶりです。
昔から神仏混交の信仰の山で、<モンテディオ山形>というJ2のあまり強くないサッカーチームの名前もこの山群に由来していると聞きました。
私の父も若い頃には村の人たちと講を組んで登りに来たことがあるんだそうです。
大井沢はその月山への信仰登山の登山口として栄え、<大日寺>という壮大な伽藍を持つ寺が有ったとのことですが、明治新政府による<神仏分離令>とそれに伴う<廃仏毀釈>の破壊活動で徹底的に破壊され、今、ここは<大日寺跡湯殿山神社>という小さな神社になっています。 唯一残っている山門を通り、奥の方へ入って行くと鬱蒼とした杉林の中に歴代住職の墓だけが残っていて、明治初年の廃仏毀釈運動のすさまじさを実感させられます。
タリバンによるバーミヤン遺跡の破壊が大きな話題になったことがあります。
しかし、明治初年の仏教文化の破壊活動はもしかしたらタリバン以上のすさまじさだったのではないかと思ったりもします。 いずれにしても、国家権力が宗教に絡んだときにはとんでもない悲劇が起きると言うことですね。
今の中東での戦闘やテロにしても、全て宗教間の対立が原因のようにも見えるし、過去に於いても、宗教とか信仰とかいうものほど人間の大量殺戮に関わってきた組織や思想は無いようにも思えます。
信仰と称するものは、突き詰めて行くと「死ぬか生きるか・・・」ってな所まで行ってしまうってのが困った点ですね。
これが、経済活動なら、ただ単に「儲かるか儲からないか・・・」で済んじゃうんだけど。
そう言えば、司馬遼太郎だったか、ドナルド・キーンだったか忘れましたが、明治初期の頃に京都に滞在していたアメリカ人が、有名な寺院の坊主連中が毎日のように寺の仏像を持ち出しては売りに来るんで困り果てていた・・・というようなことを書いていたけど、自ら進んで廃仏毀釈をしているようなもんですが、当時の日本の宗教家なんてのは所詮そんなレベルだったんでしょうね。 今時の坊さんはどうか知らないけど、寺の上がりを持ち出しては祇園や銀座で飲んでいた坊主が身近にも居たなあ。