[前の記事: "上昇志向の強い霧"] [新着記事一覧に戻る] [次の記事: "気になる日本語"]
2006/07/02: "<瞬間>を<とき>と読ませる"
山形の地方TV局で、結婚式場のコマーシャルが流れていました。
「幸福(しあわせ)の瞬間(とき)を演出する○×結婚式場・・・」と言うんです。
時おり、演歌などにも<女>を<ひと>と読ませたりして、なんで<人>じゃいけないんだろう、と思ったりもするのですが、このTVコマーシャルのコピーはあまりにも生々し過ぎるんじゃないかなあ。
確かにね、結婚の幸せ(幸福でもいいんだけど)なんて、所詮は一瞬のもので、あとは倦怠と生活苦と夫婦喧嘩の連続で、子供は成長するに従って頭と性格の悪さが目立つようになるし、無理やり進学させても中途退学でニートになるし、さらには家庭内暴力と夫の浮気で妻も不倫に走り、結局は離婚、家庭崩壊、サラ金地獄、自己破産、路上生活・・・。
ま、結婚式のときくらいは夢を見るのもいいんじゃないの、というコマーシャルなんでしょうか?
コピーライターの悪巧みをクライアントの結婚式場が見抜けなかったのか、それともコピーライターもクライアントも何も考えてないのか・・・多分、後者なんでしょうけど。
そう言えば、知人の結婚式で「プレジール ダムール ヌヂュール カンモマン・・・」と歌った女性が居ました。
で、「シャグラン ダムール トゥトゥラヴィー」なんだそうです。
祝ってんだか、呪ってんだか・・・。
これも結婚式で、<アメイジング グレイス>を歌う人が居るけど、あの歌は昔奴隷船の船長だったイギリス人牧師が自分の過去を反省して作った歌なんだって?
それが黒人霊歌になったと言うのも皮肉な話だけど、結婚式で聞くと複雑な気持ちになります。 夫だか妻だかのどちらかが、どちらかの奴隷になってひどい苦労をするんだけど神様の限りなく深い愛によって救われるってことなんでしょうか?